走り続けた16年(31)

財政健全化への闘い ⑲

前号本欄に掲載したように、平成2年3月29日の小金井市役所は朝から不穏な雰囲気が漂っていました。

それは、議場のある本庁舎4階の廊下を30人を超える土木課維持補修係職員等が職場を放棄し闊歩しているからです。そして、議会で待機中の助役を30人を超える職員が非常階段の踊り場で取り囲み、身動きの取れない状態の中で罵声を浴びせるなど激しい態度で助役に迫ります。

助役を解放するようにとの議員等の説得にも応じないことから、やむなく揉み合いの中から議員が物理的に助役を救出するという事態です。正に常軌を逸した行動です。

その後、所属長が職場復帰命令を出しても応じず、委員会室の傍聴席で議会の審議を見ているのです。午後になってもその30数人の職員は職場に復帰せず、市役所西庁舎2階の会議室で業務打ち合わせと称して、所属長である部課長を吊し上げていました。

私は、その会議室に行き、この様な業務打ち合わせは認められない、再度、業務命令を出して仕事に復帰させるべきだと部課長に告げるのですが、後の混乱を恐れてか業務命令は出さず、市役所の終業時間まで吊し上げは続きました。

さらに、業務打ち合わせは翌30日も、そして土・日曜後の4月2日午前中も、29人、24人を相手に人目のない貫井北町分室に場所を変えて続きました。

この様な行動は異常の極みであり、社会通念上許されるものでなく、民間企業は勿論他の自治体においても有り得ないことです。公務員としての資質も疑われ、組織の体をなしていませんでした。

私は、これら一連の行動に対しては全ての給与をカットすべきだと主張しましたが、当局は状況を現認できないとか、管理職が入っている以上は公務の一環だとし、私たち議会の大方の主張は全く通じませんでした。

しかし、監査委員に市民から住民監査請求が出され監査委員の勧告は給与の返還を求める内容でした。

これに対し、当局による給与等の不当利得返還請求は、所属長の職場復帰命令に従わなかった30人の職員に、3月29日の午前10時30分から正午までの1時間30分の間に限るもので、給与総額約12万566円を返還させるというものでした。

この請求に11人が従い、残りの19人は返還に応じず、議会の議決を経て市が武蔵野簡易裁判所に提訴したことで自主返納しました。

この維持補修係、時には40人を超える職員で、ブルドーザー、ロードローラー、ダンプカー等建設用重機を有するなど、建設会社も驚くような組織でしたが、当局は全く管理不能に陥っていました。

この維持補修係の問題に自ら調査し、議会での過激な発言から訴えられても果敢に問題を指摘し改善を求め続けた民間企業経験の先輩議員がおり、その活動を見習い参考にさせていただきました。

職員数の多さからの人件費や、建設用重機類の管理による経費の負担増となり、維持補修の仕事は民間業者に委託することが効率的であり、私の市長任期中に組織改正もし、道路維持補修の正規職員はゼロにしました。

(つづく)

走り続けた16年(30)

財政健全化への闘い ⑱

小金井市は昭和50年前後の8年間、「費用と効果」を全く度外視した、市職員による直営主義の革新の市政が執り行われました。

昭和46年の小金井市の人口が9万2千人であったのが、革新市政の終えた昭和53年は9万9千人と7千人、約8%増に対し、職員数は662人から1千130人と実に倍近くに増員するという取り返しのつかない失政を犯(おか)し、市財政を長期間に渡り苦しめることになりました。

これは、市の事業は市の職員で行うという主張から、常軌を逸した強力な正職化運動を展開する職員組合、そして、それに屈した市長。また、チェック機関としての役割を果たせなかった議会の責任も重いと言わざるを得ません。しかし、市長も議員も市民が選んだ人たちであることを私たちは肝に銘じなければなりません。

前号まで数回に渡って掲載した学校施設警備以外にも、建設部土木課維持補修係も当局の管理が行き届かない部署のひとつであり、革新市政以降も旧名称の「工事二係」と恐れられ、数多くの問題を起こしました。

平成2年第一回(3月)定例会で市議会は次のような決議をしました。

『市役所庁内秩序の回復と確立を求める』(要旨)
平成2年3月28日の予算特別委員会において、土木課維持補修係職員等の傍聴者が市長の答弁に対して一斉に不満の声をあげ審議の続行が不可能になった。これに対して委員長から傍聴者に対し、強く注意を促すという事態が生じた。

かかる状況下で市長が体調を崩しドクターストップとなり、本定例会の会期の延長を余儀なくされることに至った。

その原因の一つには、平成2年度一般会計予算の審議における土木費の経費にかかる予算特別委員会の審議の成り行きに不満を持つ維持補修係の職員を主体とする一部市職員の業務打ち合わせと称したこの抗議行動にあるといっても過言ではない。

あまつさえ、3月29日には本庁舎4階議会棟東階段入口において37名の係員のうち30数名の職員が勤務時間中にもかかわらず激しい態度で助役に迫って取り囲み、動きの取れない状況にするなどの事態は常軌を逸したものというべきである。その後、職場担当課長が職場復帰命令を出しても応じようとせず、議会運営委員会を中断せざるをえない状況に追い込んだ。職場を放棄し、職務に専念する義務に違反したことは、地方公務員法に背反する行為である。

このような、あたかも議会審議に介入するかのごとき維持補修係を主体とする一部職員の不見識な行動は、まじめに働く他の職員の名誉を傷つけ、ひいては市民の良識と名誉を汚す行為であり、本市議会は断じて容認することはできない。かかる異常事態を招来した原因と責任は、挙げて市政運営の最高責任者たる市長にある。市長は、勇断をもって維持補修係を管理可能な職場として、市民に応える機能に改善すべく早急に対処されたい。

以上の決議が、共産党と青木ひかる議員を除く全員の賛成で議決されたのです。

(つづく)

走り続けた16年(29)

財政健全化への闘い ⑰

昭和62年9月議会で、①市民の納得を得られる学校施設管理を②施設管理係の事務室を一か所に、という決議が議決されました。

この決議を実現させるため、私は大久保慎七市長を支える与党の立場ではありましたが、このことについては、厳しくその対応を迫りました。

①は、地方自治法に規定する「地方自治体は最小の経費で最大の効果を上げなければならない」の本旨の則った対応をすべきであるということです。

②について、私は、職員組合を結成(再建)し、四半世紀にわたり委員長の職にあり、西の京都、東の小金井と称される無軌道な組合を指導し、影の市長とも天皇とも称された人を、市民からも職員からも目の届かない個室で執務させる等、当局による特別の処遇に問題がありました。良識ある職員の勤労意欲をそぐなど大きな影響を与え、正常な行政執行を阻害するものであり、これを改善させ、組合を良識化させることが私の主眼でした。

この決議を受け、当局は職場と検討委員会を開き協議を開始しました。その進捗状況は各定例会で市長報告に付されるのですが、時間外手当てを支給しての検討委員会にも関わらず、回数は増えるのですが協議の内容は一向に進展しません。

私は、国分寺市が中学校施設を夜間は機械警備による民間委託に切り替え、一校当たり年間60万円の委託料で実施されていることなどを例に、小金井市の直営による1700万円は大きな問題であり、市長に改善の決断を強く求めました。

平成元年、私は2期目の市議会議員選挙に当選しました。その後、平成3年の市長選挙、私は大久保市長の選対事務局長を務め、大久保市長は2期目の当選を果たしました。

平成5年は、3月の市議選の関係から2月2日に第1回定例会が開かれました。

定例会の冒頭の市長報告で、学校施設管理には一定の進展はあったが決着に至っていないというものでした。

私は、「平成5年度の施設管理に要する経費は4億円を超すことになります。そのうちの3億円が学校警備になります。機械警備の導入などによれば15分の1から20分の1の経費で足ります。市議の任期中、3月までの年度内に解決してほしい。組合との協議が整わないのであれば市長の権限で決断してほしい」と発言しました。

そして、定例会最終日、再度の市長報告があり、学校施設警備は非常勤嘱託職員をもって対応する。現在の正規職員は任用換えを行い他の職場に異動する、というものでした。到底満足とはいきませんが牙城の一角を崩した思いでした。

しかし、難題の②に関しては全く手付かずのままでした。

現在の学校施設警備は、私が目標とした非常勤職員で夜間は機械警備になっています。
(つづく)

【今、市政で何が】
賃借している市役所第二庁舎が民間の不動産会社に売却されました。2年前、第二庁舎取得の予算を提案しましたが、議員の多数の反対で実現しませんでした。後日、その時の議会や私の考え方、上原秀則副市長の対応など本欄で報告します。

走り続けた16年(26)

財政健全化への闘い ⑭

学校施設警備の改革の必要性から確信を持っての私の議員活動とはいえ、議会での質疑や職員組合の尖鋭化には少しは心苦しい思いもありました。

組合の脅しに屈することはないのですが、市長や管理職者等を標的とする八つ当たりには困惑しました。

与党議員は、議会の円滑な運営のため組合と私との解決策として、自民党の先輩議員から、私が詫びる、今後の活動は一定の配慮をする。そして、当面、与党会議への出席は自粛する、との和解案が示されましたが、それは、受け入れられないと断りました。

市役所全体が影の市長と恐れ、カリスマ的支配の一職員を、当局が特別に扱うことへの不満から実名を挙げての批判に、共産党を除く野党議員も私の行動は正当な議員活動だとの理解を示し、「我々は野党なので議案に賛成はできないが、円滑な議会運営には協力するから頑張れ」という言質を水面下でもらっていたことが私を強気にしていました。

昭和63年第4回定例会本会議で、共産党を除く全職員の賛成で「職員の議事妨害に対し市長に厳正なる対処を求める」という決議を議決しました。それは、12月22日の本会議「学校施設警備に関する市長報告」に際し、傍聴者である市職員5〜6名が不体裁な態度をとり、またヤジを飛ばして質疑を妨害したのです。

議長はやむをえずその状況を議会事務局の職員に写真撮影させたのですが、傍聴者の1名が無断で議長席の後のドアから本会議中の議場に入り、写真撮影した職員を無理やり議場の外へ引き出そうとしました。その後、議会が休憩に入ると議会事務局で抗議行動に出るなどやりたい放題、社会通念に照らしても尋常とは到底言えるものでなく、市長には傍聴の市職員に対し、市長の裁量において責任ある措置をとることを強く求める、という内容でした。

しかし、残念ながら当局はこの件に関し、何等の手も打てず、また当人たちは全く反省の態度を示すことなく、市議会には不満が募り一層硬化していきました。

続く平成元年第一回定例会に、市職員の給料、諸手当等を合わせて平均2・37%を前年4月1日に遡及して引き上げる条例改正案が市長から提案されました。しかし、前述の問題から与党である自民、公明、民社党の反対によりこれを否決しました。

その時、私の市議会同期で志を同じくし、尊敬する今は亡き公明党の小尾武人議員の反対討論は「議会のみならず市民を冒涜(ぼうとく)するような行為を放置、容認したまま、血税を給与引上げに使うことは断じて賛成できない。ひたすら市民サービスに徹する職員がいることを思い、その家族の一層の生活向上を願う者の一人としてやむにやまれぬ思いの反対である。この一石が、必ずや将来の市政に明るい展望をもたらすものであることを確信する」というものでした。

その後、平成元年3月16日の臨時市議会で、組合委員長の「遺憾の意」の表明を受けて給与条例の一部改正を全会一致で可決しました。

(つづく)

走り続けた16年(23)

財政健全化への闘い ⑬

昭和60年9月議会で議決した「学校施設管理に関する決議」について、労使の協議が全く進展せず、その決議の内容を掲載した私の「壁新聞」を外して欲しいと大久保慎七市長から懇願されました。

市長と議員は別機関であり、議員の活動に要望するということはありえないことです。それを十分に理解している市長ですので、行政の円滑な運営のためか、職員組合の激しい突き上げか、組合の注文を聞かざるを得なかったのでしょう。

問題は「影の市長」と称された、組合委員長の実名を挙げての批判を掲載したことからであり、混乱は覚悟の上のチラシであり壁新聞でした。

市長と話し合い、私の考えを理解していただき、学校施設警備の改善に努めることを条件に、壁新聞を剥(は)がしました。剥がした場所に貼られた新たな壁新聞は、市長室前の座り込みの写真でしたので、再び一悶着となりました。しかし、カリスマ的支配の組合委員長に特化したものでないことからか、「外せ」との声は聞こえてはきませんでしたが、引き続き大久保市長を煩わせました。

昭和62年第4回市議会定例会の総務委員会で「議員の市政ニュースに関して」と、私のチラシや壁新聞が議論の対象になりました。

さらに、昭和63年第1回定例会の予算特別委員会で再び議論となりましたが、その的は私ではなく、大久保市長に集中してしまいました。それは、労働組合との団体交渉の席で市政ニュースについての問題提起に対し、組合委員長宛てに「この内容について、議員に理解を得る方法に意を払ってなく大変申し訳ございません」と発信番号のついたお詫びの公文書を手交したことから、市長の越権行為だとのことです。

また、壁新聞の内容である18平方㍍の事務室を組合委員長ら2人だけで占有していることに対し、総務部長からは「事務室の面積、起債申請に伴う面積、比較はその通りです」との答弁で、記載内容には誤りの無いことが証明されました。

市長からはお詫びの発言がありましたが、委員会は収まりません。委員会最終日まで質疑を保留し、黒川輝秀委員長は「市政ニュース問題は議長においてしかるべき処置をお願いすることで質疑を終了したい」とし、委員もやむなく了解しました。

それを受けて、昭和63年第2回定例会終了にあたって、田中剛議長から「この際、議長から市長に対して一言申し上げておきます。去る3月定例会の予算特別委員会において提起された、いわゆる市政ニュース問題に関してであります。本件につきましては議員が議員活動の一環として行った行為であります。それにもかかわらず、市長に対して他の機関等から何らかの形で問題提起がなされたからといってそれに回答する形で公文書をもって遺憾の意を表することは、市長の職務権限を逸脱したものであると言わざるを得ません。よって、今後、かかることのないよう十分留意して行政執行に当たっていただきたいということを申し上げておきます。」という発言で議会は表面上、一応の決着をみました。

(つづく)