走り続けた16年(95)

市制施行周年事業④

小金井町が市制施行に至るまで「市町村合併促進法」に基づき、近隣の市・町との合併の動きもありましたが実現しませんでした。小金井町を含む3万人以上の人口を擁する全国60数町が小金井町の鈴木誠一町長をリーダーに、「市制施行人口要件改正期成同盟」をつくって国会に向けて運動を展開してきました。この運動が功を奏し、特例として期限付きで、人口要件を3万人とする地方自治法の改正が行われました。

昭和33年10月1日、小金井市の誕生です。多摩地域では10番目の市となり、5日間もの間祝賀行事が続き市民全体に溢れる喜びと明るい希望の中で、華やかに、盛大にスタートしました。並行して小金井市社会福祉協議会の誕生もありました。
その後、

市制施行の周年事業は5年刻みで行われてきました。

周年事業を弾みとして記念事業を展開することもあり、市民の皆さんがその行事等に参加することにより、市への郷土愛へとつながりました。また、子どもたちは楽しい思い出作りにもなりました。

昭和38年10月1日の市制5周年の記念式典は、竣工された小金井市公会堂で、その落成記念式典とともに盛大に催されました。市民待望の公会堂は約千人収容できる円形大ホールで、取り付け道路等の難題を乗り越えての竣工でした。公会堂は集会や催し等の各種イベントに多くの市民に活用され、市の文化施設として円形のホールは市民の誇りになりました。当時は、新宿から西への中央線では杉並公会堂に続く施設として、一流の歌手の歌謡ショーやNHKや民放テレビ番組の中継や収録などにも多く活用されてきました。しかし、老朽化が進み、雨漏りや電車音や雨音が会場に入るなど、次第に音楽等に使うには適さない施設になってしまいました。

平成19年、老朽化と武蔵小金井駅南口第一地区の再開発のため惜しまれながらも、解体することにしました。駅の至近距離にあることもあり、約45年間にわたり市の文化芸術の拠点として、市内外の多くの人々に利用されてきました。

15周年となる昭和48年は、それまでの文化祭、商工祭、子供まつり等を統合し「市民まつり」と称して発展し現在に至っています。

昭和53年の20周年は、式典の中で小金井市の永利友喜市長と三宅村の大沼良三村長との署名により友好都市盟約が締結され、即日発効されました。

小金井市と三宅村は歴史的縁により、小金井のさくらと三宅島のアジサイや人的交流が盛んになり、小金井市唯一の友好都市となっています。

市制施行記念の周年を迎える10月1日を市役所の休日とする年もあり、小金井市の魅力を発信する刊行物や歴史を残すための各種出版物が発行され、祝賀行事等で盛り上がりました。福祉会館、障害者福祉センターや文化財センターなども竣工されています。

また、市の木をけやき、花はサクラ、虫はかんたん、鳥はかわせみ、とし、道路や坂道、橋の愛称の命名もしてきました。

この周年の年を、昔の小金井を振り返る機会にし、次へのステップにしたいものです。

(つづく)