中国東北地方(旧・満州)の旅
残暑厳しい中の9月22日から30日までの9日間、中国東北地方を訪ねました。
これは平成13年8月、母と妻と長女と私の4人 (次女は青年海外協力隊でアフリカの ガーナーに赴任中で不参加)で行って以来23年ぶりでした。
今回は妻が体調の関係から飛行機に乗れないため、気楽な一人旅になりました。
成田から空路哈爾浜(ハルビン)、そこから列車を使って綏芬河(スイフンガ)、牡丹江、哈爾浜、瀋陽、そして引き揚げ船の出港地の葫蘆(コロ)島と、旧満州を横断しました。
これは私が、昭和20年8月9日のソ連参戦により、ソ連軍から逃れるため母の背中で移動したコースです。
8月9日 国境の綏芬河市を後に奉天(現・瀋陽)着いたのは、玉音放送の8月15日を過ぎて9日間もかかったのが、今回は時速300kmの中国高速鉄道で、わずか6時間半で走り抜けました。
私が中国に行くことに、中国を知り私をよく知る人は非常に心配しました。
それは、中国語はニーハオとシェイシェイの二言だけで、買い物は現金を使わないキャッシュレス社会でもあり、列車の乗車は予約制であることなどから、アナログ人間の私が無事に帰って来れるかが心配の種でした。
しかし、いつもの「なんとかなるさ」の精神で、無事に目的を果たすことはできました。
私も後期高齢者になり元気な時に旧満州を訪れ、昨年末に母が102歳で亡くなったことと、私も元気で80歳を迎えることができたとの報告と、綏芬河市の天長山で亡くなったとされる父の慰霊のためでした。
旅は当初の計画通り、無事終えることができました。
私の感じた中国情勢については、機会をみてご報告させていただきます。