さくら通信

年末にあたって(3)

本年は戦後79年、私も80の大台に乗りました。

残された年月にも限りがあり、終活を考える時になりました。

そこで、果たすべき終活に取り組みました。

その1つが、数年来の考えていた中国東北地方、旧満州への旅でした。

妻が体調から飛行機に乗れないため、9月に気楽な9日間の一人旅となりました。

旧満州は私の出生地であり、南満州鉄道(満鉄社員であった父の眠るところでもあります。

旧満州には23年前の平成12年夏、母と妻と長女と私の4人で訪れていましたが、死ぬ前にもう一度 訪ねることを決めていました。

父は満鉄社員でしたが、靖国神社に祀られており、その戦死地が綏芬河市の天長山とあり、数年前産経新聞の記者から、西日本新聞が発行した綏芬河市の天頂山でのソ連軍の攻撃が、「天頂山の悲劇」として書かれていることを知らされて読みました。

そこで、天長山を目指したのです。

難儀するかと思いましたが、事前に中国のガイドさんに伝えていたこともあり、タクシーで 麓まで行き、あとは 数時間山道を歩き目的地に着きました。

その場所は、1枚の看板があるだけで、全く戦禍の跡はありませんでした。

全てソ連軍が壊してしまい、草木が生い茂っているだけでした。

しかし、この地の下には多くの日本人が眠っているのです。

私は父に別れを告げました。

後は母の手記や話に聞いていた都市や旧満鉄 施設を訪ね、ソ連軍から逃れる経路をたどり、10ヶ月暮らした奉天(現、奉天)、そして引揚げ船が出港した葫蘆(コロ)島などへ行き、大連から飛行機で帰りました。

中国東北地方を旅して感ずることは、戦前戦後の日本軍が犯した過ちです。

中国人の怒りは薄らいではいますが、忘れてはいないということです。

旅は計画通りで、終活の一つを果たすことができました。