職員の退職金が払えない
200人の職員削減を公約に平成7年4月大久保慎七市長が3期目の当選を果しました。
昭和62年4月からの2期8年間はバブル経済の波に乗り、遅れていた公共施設の建設に取組み、緑児童館、土水会館、東センター、総合体育館、三楽集会場、緑センター等の開館や清里山荘の改築、浴恩館公園の整備、そして44年から続いていた公共下水道工事の竣工と長い間の市民要望に応えたもので、本市にとって最も発展した華やかな時代でした。
しかし、その間も財政危機は続いており大久保市政の12年間、市財政の指標である人件費比率は庁舎建設用地として蛇の目工場跡地を取得したため予算規模が膨らんだ平成4年度を除いては常に30%台であり多摩全市の平均を常に10%以上も高い状況が続いていた。
大久保市長就任前の15年間での9年は人件費比率は40%台であり全国ワースト1位を繰り返していた。公共施設は増やしたが職員を増員しないで踏み止どまっていたが、この12年間に要した小金井市の人件費の総額は約1千117億円であり、これを多摩全市平均の人件費比率で収めれば約124億5千万円が節減されることになり、都や国の補助事業であれば400〜500億円の事業が可能だったのです。
職員の増員は押さえたが74億円でスタートした人件費は革新市政時代に採用された大量職員の年齢が上がるにつけ、80億円90億円と吊り上がり、ついに、平成6年度の人件費は100億円超となり、それが7、8年度と続き、財政の弾力性を示す経常収支比率は全国664市の中でワースト1位になってしまった。
平成6年頃から大久保市長は度々「早晩職員の退職金が払えなくなる時が来る」と発言していた。6年度に(財)日本都市センターに委託した「行政診断調査報告書」でもそれが指摘されていた。
その時が到来した。平成9年は市議会議員選挙の関係で2月に開会した定例会の9年度一般会計予算に退職手当債(借金)9億5千万円が計上された。
市民の声は職員に厳しく、退職する職員の退職金がなければ払わなければいいとか、これまでの市民に奉仕してきた職員の退職金を将来の市民に返済させるのはおかしい、等多くの意見が出ました。市議会では何かの事業を削って、とか、別の目的を持つ基金を取り崩して、とか、市有地を売却して等、色々な意見が出されたが私たちは借金もやむを得ないと判断し予算は可決された。予算は可決されてもそれを執行するには国や都の起債許可が必要になります。市独自の判断だけでは借金はできません。
この直後に行われた市議選は退職手当債に対する批判もあって与党自民党には厳しい審判になったが私は4選を果しました。私はこのピンチをチャンスに変えようと考えていました。
本来、税収に恵まれて地方交付税の不交付団体でもある本市が退職手当債に頼るのは問題であり、国も都も大きな改革を許可条件にしたのです。
それは、職員削減、適正な市民負担、そして、「37協定」に伴って続いていた給与制度の改正でした。
いよいよ35年間小金井市を蝕んできた病根の摘出です。同一年齢同一給の年齢給を法に基づく職務・職階による職務給への改革の時が来たのです。
(つづく)