東京農工大の特別栄誉教授の遠藤章氏が、6月5日逝去されました。
このことについてはすでに本欄で報告させていただきましたが、遠藤氏の業績はコレステロールの合成を妨げるスタチンの発見で、これは細菌感染症から人類を救った 抗生物質ペニシリンと並ぶ「奇跡の薬」と呼ばれており、ノーベル賞の有力候補に上がっていただけに残念でした。
私は農工大の最高議決機関である経営協議会の委員を務めていたこともあり、親しくさせていただきました。
享年90歳でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。合掌
東京農工大の特別栄誉教授の遠藤章氏が、6月5日逝去されました。
このことについてはすでに本欄で報告させていただきましたが、遠藤氏の業績はコレステロールの合成を妨げるスタチンの発見で、これは細菌感染症から人類を救った 抗生物質ペニシリンと並ぶ「奇跡の薬」と呼ばれており、ノーベル賞の有力候補に上がっていただけに残念でした。
私は農工大の最高議決機関である経営協議会の委員を務めていたこともあり、親しくさせていただきました。
享年90歳でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。合掌
石川良一都議が逝去
石川良一氏が16日に逝去されたことが報じられました。石川氏は稲城市の市議会議員から市長5期務めた後、都議会議員に転じ議長も務められました。
石川氏は困窮する小金井市のゴミ問題に大きな支援をしてくれました。
石川氏との思い出は尽きません。
その中で特に記憶に残るのは、平成22年10月31日、武蔵野市内で石川市長と私が土屋正忠衆議院議員を挟んで、これまで積み上げてきた内容を確認する会議が忘れられません。
稲城市は狛江市、府中市、国立市の4市で一部事務組合・玉川衛生組合を結成し、焼却場は稲城市にあり管理者は石川市長でした。
小金井市の生ゴミを、多摩川衛生組合で焼却処理することに合意ができたのです。
そして、石川 市長は多摩川組合の合意を取り付けること、私は小金井市をまとめ 共同処理することの最終確認でした。
そして、お互いの選挙が終えた5月の連休明けに公表することにも合意しました。
同席した土屋氏は、石川市長の高校、大学の先輩でもあり、この合意は双方に利があることから意見をいただいていました。
ところが、多摩川衛生組合が長年に渡って不適切な焼却処理を行っていたことが判明し、管理者である石川市長は、その責任を取って6選出馬を断念しました。
石川市長は、行政の継続性から後継者に引き継ぐとしていましたが、私が4月の小金井市長選挙で佐藤和雄氏に敗れたことから、全てが水泡に帰しました。
6月23日に行われた葬儀は、72歳の若さで逝った石川良一さんを悲しむ大勢の人々と見送りました。
良ちゃん、どうぞ安らかにお休みください 。合掌
訃報が続いた 6月
元・早稲田大学総長の奥島孝康 氏が1日、逝去されました。
享年85歳でした。
奥島氏は早稲田大学の14代総長で、その後高野連の会長など多くの役職を務められました。
私が最初にお会いした時の記憶はないのですが、平成11年12月4日に行われた早稲田実業高校のキャンバス内のグランド開きで久しぶりにお会いしました。
グランド開きには地元国分寺の山崎眞秀市長が欠席とのことから、私も一旦はお断りしましたが、小金井も地元だと言われ出席させていただきました。
テーブルは王貞治氏や奥島総長と同席でした。
その数日後、奥島総長と小金井市内の割烹真澄で食事となりました。その席でグランド開きで早実の広報が撮った王さんとのツーショットの写真が欲しいと言うと、探して届けるとのことでした。しばらく経ってから、割烹真澄で総長から貴重な1枚の写真を受け取りました。
また、小室哲哉さんのコンサートなどにも呼んでいただくなど個人的にもお付き合いをさせていただきました 。
ご冥福をお祈り申し上げます。
思い出の7月2日
60年前の昭和40年7月2日午後4時、横浜港大桟橋から大阪商船の移民船「さんとす丸」(8500t)がアメリカに向けて出航した。
私は子どもの頃からの夢だった世界一周無銭旅行に、大学2年が終えた時点で1年間学校を休むと決めてこの船に乗りました。
3月頃から船内で働くことを条件に、ただでアメリカまで乗せてくれる船を探すため連日海運会社めぐりです。
根負けした大阪商船が話を聞いてくれて無料にはならなかったが、船内で仕事をすることなく乗せてくれました。
海外旅行の自由化前で1ドルは360円で、旅行者が海外に持ち出せる金額は500ドルまでで、パスポートやビザの取得も自分でする時代でした。
さんとす丸は貨客船だが貨物船に毛の生えた程度で、私の区画は船底の小体育館のような船倉の真ん中に工事用のパイプを組み合わせ、その間に幅1m×縦2mのベニヤを渡し、マットレスを敷き毛布を掛けただけの簡素でした。しかし、私には最高の居場所でした。
出航して数日後、1人の中年女性がかいこ棚の船底に来て、「皆さん ポルトガル語の勉強をしませんか」と呼びかけた。私は一目見て、この人は澤田美喜さんだと気づいた。
船にはブラジルやアルゼンチンに移住する人たちや、進駐軍の米兵を父に日本人を母にする 混血児 7人が、人種差別のないブラジルへ移住することで乗っていました。
出港時にマスコミがいたことや、澤田美喜さんが乗っている理由がこれで分かりました。
澤田さんは、三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎の孫であり父は久弥です。
16日後、船はロサンゼルス南のサンペドロ貨物港に着き、澤田さんや7人の侍、南米に移住する人たちとの別れでした。
憧れの米国です。
ロスから西海岸を北上しカナダのバンクーバーへ。そして南下し再び ロスへ。ここでアルバイトを、その後、 南部を経て東部フロリダから北上 9ヶ月後の3月、ニューヨークでイギリスに向かって世界を一周するか日本に帰るか悩みました。
米国でのアルバイトでその後の旅費はある程度確保していたが、学校は新学期が近い頃で悩みました。
結局、米国中央部を横断しロスに戻り飛行機でハワイへ、そこで目いっぱい泳いで、 そして、 5月のゴールデンウイークに羽田へ帰ってきました。
世界一周の1人旅の夢を果たすことはできませんでしたが、満足の旅でした。
市長の任期は48ヶ月
市長の任期は4年ですが、緊張感を持つため 4年ではなく48ヶ月と 考えていました。
1ヶ月が経てば残り47ヶ月。 2ヶ月経てば 24分の1が過ぎてしまったと考えるのでした。
これは、議員の時の経験からでした。
4年は長いが過ぎてしまえば短いものです。常に残りの任期を考えて仕事をしていました。
そして、 A 4に拡大した選挙公約と当面する課題を目につきやすい事務所の壁に貼って、その課題と任期をいつも考えていました。
当面する課題は、長年続く危機的な財政の健全化と開かずの踏切で南北に街を分断する中央線の高架化、そして中央線で最も整備の遅れている駅周辺、武蔵小金井駅南口の再開発と東小金井駅北口の区画整理等の街づくりでした。
それを1期48ヶ月でどこまで進められるかです。