市制施行五十八年
昭和33年10月1日、小金井市が市制を施行し、58年を迎えました。明後年は60年、人でいえば還暦です。
小金井市がこれまでに発展できたのは、JR中央線等地理的条件や恵まれた自然環境、そして市民の力、さらに議会や行政の努力によるものと思います。その間には、大きな課題に直面することも多々ありましたが、それらも改善され発展を続けてきました。
市制施行の数年前、小金井町は近隣各市・町との合併の動きがいろいろある中で、国分寺町、小平町と3町合併促進協議会を結成し協議を進めてきました。しかし、協議が整わず昭和31年3月に解散となりました。
自治体の合併は多くの困難が伴います。隣接であったとしても文化や風習、交通圏や生活圏の違いもあり、協議が整っても合併後の市の名称で壊れることもあります。当時の鈴木誠一町長も町会議員も本心は単独での市制施行を意図していたようです。
当時の地方自治法では市制昇格の人口要件は5万人以上でしたが、改正前の3万人程度で市制を施行しているところもあり、必ずしも統一基準となっていない状況でした。それを踏まえ、人口3万人台の小金井町も市制施行へと動き出したのです。
昭和31年夏、全国の市制施行を目指す町へ、地方自治法改正の運動の呼び掛けがあり、翌年2月、国会に法改正を働きかけることになりました。東京での参加自治体は小金井町だけであり、東京は関係機関との連絡が取りやすいこと等から鈴木町長が中心的役割を果たすことになりました。
鈴木町長を先頭に58町の強力な運動の展開で、各・地元国会議員の協力もあり昭和33年4月、地方自治法の一部改正が成立し、該当する62町は同年9月30日までに市制施行の申請ができるようになりました。
しかし、東京都は小金井の市への昇格は時期尚早だとし、理解を得るのに大変苦労したようでした。鈴木さんの後日談ですが、都が「市名は小金井市ですか」と聞くので「東京市だ」と答えたら担当は大変驚き、それだけは止めて欲しい、と言っていたそうです。
昭和12年2月1日小金井村から町になったことから、当時、町制20周年記念事業と市制施行への活動が同時に行われていたようです。
昭和33年10月1日、いよいよ東京で10番目の市として小金井市が呱呱(ここ)の声をあげたのです。市民の喜びも大変大きく、5日間にわたって全市をあげて記念祝賀行事が繰り広げられたようです。
初代市長は鈴木誠一氏で、市勢は世帯数9771、人口4万947人、職員数は177人。年間予算額は1億4815万円、市民一人当たり3692円でした。
時は過ぎて、平成20年は市制施行50年でした。私は、市民の記憶に残る1年とするための事業を考えていました。市制50年記念事業等に関しては、後日、当欄で報告します。
(つづく)