さくら通信

神島せつ子さんお別れ会

神島せつ子さんが5月11日、誤嚥性肺炎で逝去されました。 享年95歳。

神島さんのご子息から連絡があり、15日に神島さんにお会いしました。

葬儀は家族で行うということでしたが、私に出てほしいとのことで、18日の葬儀に参列しました。

その後、小金井三宅島友好協会の福平良全会長と、お別れの会を催すことにしました。

6月28日、小金井市商工会館でお別れの会を開催しました。

三宅島からは、村長、議長等が出席され、会場には生前の神島さんの拡大された200枚近い 写真、三宅島から届いたあじさいも飾られ、華やかな会場になりました。

私は「神島さんにも見せたい」との思いでした。

神島さんは、昭和51年に三宅島から送られた紫陽花の植樹から、関綾二郎会長のもとで40数年間事務局長を務め、その後、会長、相談役を務め、三宅島との民間外交に努められました。

また、行政相談員にも就かれるなど、市政に多大の貢献をされました。

神島さんのご冥福を心からお祈りいたします。

さくら通信

三宅島の旅

7月7日から9日まで、2泊3日で小金井 文化連盟の方々と三宅島を旅しました。

これは、前から三宅島に行きたいとの声を聞いていて、連盟の行事の少ないこの時期に設定しました。

三宅島は前日までは梅雨が続いていたが、私たちは3日とも猛暑でない程度の晴れで、天候にも恵まれました。

調布飛行場からの一番機は部品が届かず欠航になり、私たちの乗る2番機は1時間遅れで飛び立ちました。

太平洋にかかる頃、機の下は完全に雲に覆われていました。

しかし、富士山だけが頭を出してるのを見て、機内に感嘆のどよめきが起こりました。

1時間遅れの到着で13時からのスタートになったが、予定通り島の南部坪田、阿古を回り、温泉につかり民宿の食事に舌鼓をうち1日目が終えました。

2日目は島の北部の伊ヶ谷 そして 小次郎 井戸のある伊豆地区、 東部地区の神着、 そして 坪田 と島を1周しました。

神着の島役場跡で、御笏神社の宮司である壬生家ご家族と話すことができ、私が「壬生家に小金井小次郎の身の回りの品があると聞いているのですが」と話すと、「はい、あります」と即答で、出された年季の入った木箱には「小金井小次郎三宅島遠島中市持?」「煙草入」とあり、「三宅島 壬生家 蔵」書かれていました。

残念ながら、若いお嫁さんに迷惑かかることを思い「開けてもらえませんか」とは言えませんでしたが、次回は事前に連絡して見せて貰いたいと思っています。

連盟の華道の方々は草花に関心が深く、行く先々で花を見れば花談議になりました。

夜、屋上の見晴台から見る星空にも感激し、時を忘れるようでした。

3日目はバスで行けなかった大路池や迷子椎を見、おさらいに島を一周し、伊ヶ谷港で地元の櫻田前村長や奥様と多くの方々に見送られ、橘丸に乗船し島を離れました。

船内では飲食をしながら、次第に小さくなる三宅島や海を、そして東京湾、東京港の夜景を楽しみながら無事帰還しました。

三宅島では、山高村長、櫻田前村長、平野元村長をはじめ、古い知人と旧交を温めることができ、私自身も充実した旅になりました。

飛行機の部品調達の遅れによる欠航や遅延、そして計画段階で8,560円だった船賃が、1万3420円と4,860円の値上げになったのには驚きました。

これも、トランプ大統領による原油高騰の結果です。

さくら通信

三宅島 歩いて一周9回目  

4月10日、調布飛行場から一番機で三宅島を訪ねました。

これは5月27日から6月1日まで、市民交流センター(宮地楽器ホール)で、小金井市文化協会が主催する「芸術文化フェスティバル 2025」の写真展に、三宅島をテーマにするため7人の写真愛好家が三宅島を撮影するということで、私が案内をさせていただきました。

三宅島空港に到着し、予定のコースで写真撮影に入りました。

生憎のお天気で、期待の日の入りも日の出も見られませんでしたが、三宅島の絶景を案内させていただきました。

写真展での三宅島の絶景に期待してください。

カメラマンの皆さんは、1泊で11日午後の飛行機と、橘丸の航路に分かれて帰られました。

残った私は翌12日、爽やかな快晴の三宅島一周三十数キロに、9回目の挑戦をしました。

私が島を歩くのは結構知られていて、歩いていると車を止めて激励をいただきます。

今回も、村長の山高さん、曽我部議員、役場の幹部職員、三宅島友好・交流協会の石森副会長や 、多くの村民の方々と路上での友好、親善を進めました。

歩いての1周は、昨年2月は8時間程度でしたが、今回出発の阿古地区に戻ってくるのに10時間以上要し、体力の限界を自覚しました。

しかし、三宅島の魅力を体感するには、やはり歩くのが1番です。

走り続けた16年(65)

新しい年を迎えて

新年明けましておめでとうございます。

希望に満ちた新春をご家族おそろいで健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。

本年は小金井市が昭和33年10月1日、東京都で10番目の市として市制を施行して60年の節目の年になります。

初代市長は市制施行に努力した鈴木誠一氏が就任しました。当時の小金井市は、人口4万947人で職員数は177人、一般会計予算は1億4千815万円でした。ちなみに、現在、人口は12万人を超え、職員数は約700人、一般会計予算は約400億円であり、近郊の文教・住宅都市として、一時の失政もありましたが、大きく発展させてきた先人に感謝いたします。

本年は、市制施行の外にも5年、10年の節目の年を迎える団体も多くあります。4月からのこの1年は、60年の冠を付した事業が活発に展開されることでしょう。

また、本市が市制施行20周年を記念し、昭和53年10月1日に締結した三宅村との友好都市盟約も40周年になります。現在、私が会長を務めている小金井三宅島友好協会も、これを弾みに、さらなる友好の絆を深めてまいります。また、東京小金井ロータリークラブは創立55周年事業として、5年計画で550本の八重桜の苗木を三宅島に贈る計画です。市民の皆さん、是非、三宅島を訪ねてください。

2020年東京オリンピック・パラリンピックも近付いてきました。これを契機に、小金井の魅力を市内外に発信するシティプロモーションが必要です。それには、市民が市に愛着を持つことが基本です。

小金井市は平成21年9月から「こきんちゃん挨拶運動」を行っていますが、市民同士が日常的に挨拶を交わす市にしたいですね。人間関係の基本は挨拶です。最初は目を合わせたら軽くうなずき、慣れてきたら声を出すようにして。ごみの収集作業の人たちにも気軽に感謝をこめて挨拶が交わせる習慣ができたら素晴らしいですね。

また、小金井市を日本のシンガポールと呼ばれるように、美しくごみが落ちていない街を目指したいですね。そのためには、条例でも禁止されているたばこなどのポイ捨てをしないことや、自宅等周辺の清掃活動をすることで実現できます。

市民が、お互いに助け合い、支え合える町にするには、昔の、向こう三軒両隣や、お節介なおじさんやおばさんのいる近所付き合いの復活に期待したいものです。

本年も『走り続けた十六年』の連載を続けます。市政の歴史が誤ったり都合よく解釈され、それが定着してしまうことを危惧し、今だから言える話を一緒に苦労し、汗を流してきた職員や議員を思い出しながら書き続けてまいります。ご愛読をお願いします。

世界平和は人類永遠の悲願です。北朝鮮の核ミサイル開発が世界中に緊張感を与えています。アメリカがその挑発に乗らないことを願います。本年が平和で、災害もなく、幸多き年であることを心から祈念いたします。

(つづく)