父を訪ねて中国・東北地方へ
11月末には80になる私に、与えられた時間も残り少なくなってきました。
そこで、元気な時にと、22日に中国の東北地方( 旧満州)を訪ねることにしました。
妻は体調から飛行機に乗れず、一人旅になります。
目的地は中国東北地方の黒龍江省、元の牡丹江省の綏芬河市です。
ここは昭和20年8月9日未明に、相互不可侵の日ソ中立条約を一方的に破棄してソ連軍に攻め込まれた国境の町であり、母と私は砲弾の炸裂する中を、南満州鉄道株式会社(満鉄)の用意した臨時列車で国境を離れました。
しかし、 父は死を覚悟しその地に残りました。
父は満鉄の助役試験に28歳で合格し、20年4月ターミナル駅の大きな綏芬河駅の助役に抜擢され、やり甲斐のある仕事に取り組んで4ヶ月、ソ連の侵攻です。
見送る父は24歳の母と9ヶ月の私が、生きて日本に帰ることはできないとの思いでの見送りです。
志半ばで逝った父を、母の手記等で振り返る時、何年を経ても辛く涙を押さえるのに苦しみます。
その綏芬河駅から、母の背中でソ連軍から逃げた経路を辿り、10ヶ月の難民生活を送った瀋陽、そして引き上げ線の出航した葫蘆(コロ)島を訪ねます。
その他、私の生まれたムーリンや旅順も考えています。
帰りは大連からです。
私は全く記憶はありませんが、母の手記を思い出しながら歩いてきます。
心配なのは、最も苦手なネット通信とキャッシュレスの対応です。
また機会を見て報告させていただきます。