さくら通信

専決 処分と減給

私は市長に就任して約1ヶ月後の5月31日、自らの給料を10%、助役、収入役、教育長は5%を減額、さらに6月に支給される期末手当( ボーナス)は、市長の私が30%、助役以下は10%減額する条例を議会に諮らず専決処分しました。

この専決処分には、直前の市長選挙で応援してくれた議員からも厳しい指摘を受けました。

6月7日に開会する定例会に提案して、議決を受けて執行すべきだという意見でした。

私は、ボーナスの基準日が6月1日であったことから決断したのですが、議会を通さずに決定することに、議会は厳しい反応でした。

令和4年9月定例会で西岡市長は、私立保育園2園を廃園する条例を議会が議決せず、継続審査にしたことから専決処分をしました。

この専決処分に賛成の議員2人で、反対が20人で不承認となりました。

この不承認の結果を受けて西岡市長は辞職しました。

議会が不承認 なら元に戻せばいいので、辞職する理由が分かりません。

その後、地方裁判所でこの専決処分は「違法で無効」との判決が下されましたが、白井市長は控訴せず判決は確定しました。

そのため、廃園問題は収まる気配もなく、今でも混乱が続いています。

私の減給の専決処分は、「本市の厳しい財政状況を踏まえて、市長としての姿勢を明確にするため」が事由であり、財政再建を進めるうえて職員に痛みを伴う協力を求めるなら、先ず自らが痛みを感じる対応をすべきとの考えからでした。

この専決処分を承認するか否かの採決は、賛成13反対9退席1で承認されましたが、自らの給与を下げるにも議会は専決処分には懐疑的なのです。

それ以降、給与の減額は全て議会の議決を得て行いました。

因みに、私の市長在任の16年間で減額した給与の総額は、1千698万円でした。

走り続けた16年(242)

専決処分について②

平成11年の3月定例会が終えた大久保慎七市長は年度末の3月30日、一般会計の補正予算を議会に諮ることなく専決処分しました。

これは、平成10年度の市の一般会計予算が当初の計画に反する社会変動により歳入の減と歳出増により赤字になることが確実になったのです。慌てたのは東京都です。定例会中にも拘らず担当職員を都庁に呼び、その対応策を市と協議していました。小金井市の一般会計が赤字になれば都は面目が丸つぶれになることから熱心な対応でした。私は事実を明らかにし、あえて都のために繕う必要はないとの考えでした。

補正予算の補正額は表面上の数字は56万1千円と当初の315億8千万円と比較して少額でしたが非常に手の込んだ複雑な手法でした。

まず、都の振興交付金の協力を得る。一般会計から繰出すべき2特別会計への繰出しを止める。そのため、特別会計は赤字になるが、それは次年度予算を繰り上げて充用して対応する。それにより後年度負担は重くなるがやむを得ないことでした。さらに、市の公園整備基金からの借入れて帳尻を合わせ、辛うじて平成10年度の一般会計を黒字にする形が整いました。

大久保市長の任期は4月25日までであり、この専決処分を市議会へ報告し承認を求めるのは次の市長の仕事になります。

4月25日の投開票で当選が決まり、26日午前0時、選挙事務所で大久保市長から「後は任せる」との言葉で引き継ぎを受けました。

その数時間後に初登庁した私は、一連の儀式の後、秘書から都の市町村を所管する行政部が早急に面会したいので時間を取ってほしいとのこと。就任3日目の28日午後1時半、都の松澤行政部長、松本地方課長ら6〜7人が来庁。「小金井市の財政は極めて厳しく自治体として存続も危ぶまれる」というものでした。私は「議員として財政状況は十分把握してる、財政再建を果すため行革を推進するので都の特段の支援を」の要請に都も力強く応じてくれました。

5月11日に開かれた臨時会は私が市長就任し最初の議会です。議題は議会人事の改選であり、議長には初めて共産党議長になりました。また、3月30日に大久保市長が専決処分した一般会計補正予算(第7回)を報告し承認を求めました。議会からは、専決処分に対して私の考えが問われ、「やむを得ない措置だと思う」と答弁しましたが、特別会計には予算通り繰り出し、一般会計の赤字を事実として、市民にそれを知らせる必要があると考えていました。大久保市長は都の立場等を考慮し、一般会計の赤字回避に努めた結果でした。

質疑を終了し採決の結果、賛成13、反対9、退席1で承認はされましたが、専決処分に対しての議会の反応は厳しいものでした。

かくありながら、5月31日、自らの給与の10%を平成12年3月まで減額することと6月に支給される期末手当(ボーナス)30%の減額を専決処分し、6月定例会に報告し承認を求めました。自分自身の減給であり、6月1日がボーナスの基準日であることから5月31日に専決処分したのです。議会の承認は得られましたが、1か月前の市長選挙で熱心に応援してくれた議員からも厳しい指摘を受けることになりました。

(つづく)

走り続けた16年(241)

専決処分について

小金井市議会は令和4年10月7日の本会議で西岡真一郎市長が10月14日での辞職を全会一致で認め、市長を辞職しました。

西岡市長は市議会が意見を二分する市立保育園2園を5年かけて廃園する条例案を令和4年9月議会に提案しました。市議会で保育を所管する厚生文教委員会は、廃園に賛成する議員が3人で懐疑的な考えの議員が4人の構成で、懐疑派の議員は専門家を招いて公立保育園についての意見を聞くことを提案。そのため条例等は継続して審査すべしと主張、採決の結果継続と決定しました。委員会での継続審査の結果が本会議で報告されましたが、それについて「反対」の意思表示はなく、本会議で継続審査が確定しました。

もし、1人でも「継続反対」との声が出れば、流れは複雑な展開にはなるが、全く異なった結果になったことでしょう。それは、議会全体を見れば市長提案の市立保育園の廃園を主張している議員が多数を占めていることが明らかだからです。

計画通り廃園するには手続き上、今定例会での議決を必要とする市長は、条例案が継続審査になったことから条例改正を議会の議決を得ない「専決処分」で決裁しました。専決処分とは市長が予算や条例を議会の議決を経ないで決する非常に強力な権限で、災害などで議会の招集が不可能な時や議会が故意に議決をしない場合などに限定されています。

市長が専決処分した場合、直近の議会に報告し承認を求めることとされており、10月7日開会中の本会議で承認を求めたが賛成2、反対20で不承認となりました。意見の異なる重大な条例改正を議会開会中に専決処分することは議会の権能を否定するもので、議会がこれを認めることは議会の自殺行為にも繋がります。不承認となった場合、それに対する対応策を示す必要がありますが、市長にはそれに対応する術がなく辞職を求めたのです。

議会の構成から専決処分をすればどの様な結果になるか、容易に判断できたものを強引に突っ込んだことが理解できません。議会が継続審査を決めたのであれば残り任期の1年2か月の中で市政を混乱させずに当初の目的を達成できたはずで、法的にも問題のある状況で専決処分したのは解せませんし、市長が辞職の道を選択したのも判断に苦しみます。

市長辞職に伴う市長選挙は11月27日に投開票され、市立保育園の廃園を公約する候補者は無く、白井亨候補が共産党推薦の小泉たみじ候補に大差をつけて当選しました。両候補とも市立保育園の存続を選挙公約のトップに挙げていました。

当選した白井市長初議会の12月定例会は会期を縮小し12月16日開会し、26日まで11日間で開かれました。

定例会最終日の26日に上程された市立保育園を存続に戻す条例改正案は委員会への付託を省略し本会議即決とし、活発な議論の末、賛成10、反対12で否決されました。この結果、白井市長の選挙公約は否決され、西岡氏が専決処分し議会が不承認とした2園の廃園が効力を持ち続けることになりました。

私は市長在任中から市直営の保育行政の改革を進めてきたことから、市立保育園の廃園には賛成ですが、それを専決処分で決することには賛同することにはなりません。

(つづく)

走り続けた16年(239)

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。希望に満ちた新春を健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年のご厚誼に感謝申し上げるとともに、本年も本欄をご愛読いただきますよう宜しくお願いいたします。

昨年を振り替えると新型コロナウイルスの感染とロシアのウクライナ侵攻が世界中を不安に陥れ、それが本年への持越しになってしまったのが残念です。少しでも早くコロナ禍が収まることと、プーチンの狂気の野望が打ち砕かれて終結することを願うばかりです。

小金井市においては西岡市長の市立保育園廃園のための条例改正を議会の議決を経ることなく「専決処分」したことに対し議会に承認を求めたが、賛成2反対20人で不承認となりました。市長はそれに対する対応策を示せず、辞職の道を選択しました。対応策としては元に戻すだけでいいのです。議会は市長案の廃園に賛成の議員が多数を占めているのであり「専決処分」という強行手段が問題で、丁寧に進めれば何ら問題になる案件ではなく、議会対応の稚拙さも影響しました。

新たに就任した白井亨市長の選挙公約は、市立保育園の存続でした。このことから、最初の定例会である12月議会で廃園になっている条例を元に戻す、市立保育園存続の条例改正案を議会に提案したが本会議で否決され、西岡前市長が専決処分した条例が継続されることになりました。

複雑に入り組んだ展開となりましたが、市長選挙での公約の第一であった市立保育園の存続について、白井市長が今後どの様に対応していくのかが注目されます。

明るい話題は、サッカーW杯カタール大会でした。日本チームの大活躍でテレビに釘付けとなり、多くの感動が展開され世界中に夢と希望を与えました。

本年は3月の世界野球大会です。米国で活躍する大谷翔平選手やダルビッシュ有投手等日本人大リーガーの活躍で、再び日本中が熱狂することでしょう。

一方、市民にとって最も身近で重要な市長選挙が最低の投票率になったのは、西岡市長の突然の辞職によることや革新系候補の争いになったことによるものであり、市民の目が市政から離れてしまったことは問題です。

小金井市は市民の担税力が全国トップクラスにあるなど、非常にポテンシャルの高い町です。これを、いかに顕在化させるかです。

私は、平成11年市長就任以来、多くの課題解決とともに、市民が愛着と誇りの持てる小金井市を創ることに腐心し、数々の改革を進めました。

また、平成20年、東京都市長会の政策調査部会長に就任し、市長会の各自治体への共通政策として多摩の知名度アップを目的に「多摩シティプロモーション」を提言しました。その一環として平成25年の「東京国体」が「東京・多摩国体」となり、多摩・島嶼地域を中心に行われ、多摩シティプロモーションの展開となりました。

白井市長の課題である新庁舎建設には、地元のスタジオジブリや日本の標準時を発信する貫井北町のNICT国立研究開発法人・情報通信研究機構等の協力をいただき、JR中央線を利用する人々の目にふれる事により「小金井シティプロモーション」の広告塔になることに期待したいものです。

(つづく)

走り続けた16年(234)

「今、市政で何が」西岡市長辞職③

「政治の評価は歴史により定まる」といわれますが、政治は歴史の評価に耐えられなければなりません。特に為政者である市長は常に批判の対象で、退任しても鬼籍に入った後も、常に法廷の被告席に立たされているのです。裏返せば、それだけ市長には大きな権限が与えられているということです。

問題はその評価が公平であるか否かです。

私も、市長16年間の評価には神経質になります。財政再建、街づくり、ごみ問題や庁舎問題など、その時々の課題に職員や議員、そして、市民が身を削る努力で進められたものが、曲解された場合には私が反論せざるを得ませんでした。

老朽化した福祉会館の建て替えは、5年前の平成31年10月開館の予定で計画を進めていましたが、西岡真一郎市長は就任早々議会の頭越しにこの計画を中止させました。それは、67億円で庁舎、福祉会館、図書館等6施設の複合化を完成させることの選挙公約で当選したからです。西岡氏は平成28年1月、当選後の初議会で「庁舎等6施設複合化は直近の民意であり、これを果たすのが私に課せられた使命であり、何としても果たさなければならない」と公約の実現を力強く宣言しました。しかし、5月には超目玉策の図書館を除き4施設に縮小し、これを「私の揺るぎない方針とする」とし、さらに、10月には庁舎等建設計画は「ゼロベースで見直すことを決断する」との変遷で、選挙公約は1年も経たない内に白紙撤回となり新庁舎等の建設計画は宙に浮いてしまいました。

一方、庁舎建設用地取得費80億円の借金返済や新庁舎建設基本構想や基本計画の作成、建設基金の積立など着実に前進していた庁舎問題にも、「27年間動かなかった庁舎問題が西岡市政で動き出した」との事実に反する選挙広報で2期目の選挙に大勝しました。

西岡氏の7年間は市議会との信頼関係を構築することができませんでした。一般的に自民・公明党候補に勝利した保守・中道候補は、次の選挙までに自・公を取り込んで与党体制を確立していくものですが、それが果たせず終えました。

西岡氏辞職の直接の原因は、市立保育園2園の廃園の条例改正を議会の議決を経ず「専決処分」したことに賛成する議員が2人、反対議員が20人で不承認となったことです。

「専決処分」は、議会を開く暇がない時などに認められる市長の特権ですが、議会で大きく意見が対立している案件、また議会の開会中は有り得ないことです。不承認になった案件を元に戻し、残り1年2か月の任期は辞めずに課題解決に努めるべきだったのです。

市長が議会への最後の対応は「報告」と称する一片の文書で、「小金井市の持続可能で豊かな未来と、現在そして未来の子どもたちのために必要であるという考えに変わりはなく、専決処分によって改正した条例を再度改正する意思はございません」という内容でした。これは、不承認した議会を納得させるには程遠いものです。その様な考えであるなら、西岡市長は出直し選挙で「市民の信を問う」という手段もあったと思われるのです。

この7年間、小金井市政にどの様な進展があったのか、また、西岡市政が残した課題が何なのか、今後問われることになります。

(つづく)