走り続けた16年(188)

コロナ禍と新庁舎問題

新型コロナウイルスの感染拡大は、人類がその長い歴史の中で様々な危機を乗り越えたことでしょうが、全世界のあらゆる国の人々が同時に打撃を受け、これ程に生命と日常生活が脅かされるということは過去に例のないものと思われます。

拡散はワクチン接種の進んだ先進国から発展途上の国へ。国内においては都心部から地方へも広がってます。現在、三度目の緊急事態宣言となり、それが再三の延長となっています。さらに、国内外において感染力の強い変異型ウイルスの猛威が広がっています。

このコロナ禍による経済と生活の再建に向け、社会全体が協力し合うことを柱に「誰もが安全で安心して暮らすことのできる社会の実現」のため、世界中が協力しあう必要性を感じています。

今、望まれるのは一日も早くワクチン接種が完了し、幼児から高齢者までのマスク姿の異常な状況にピリオドを打ち、元の普通の生活に戻ることです。

このコロナ禍により経済状況は激変しており、小金井市財政に与える影響も非常に大きく、当局は令和7年までの5年間の歳入減は61億5千万円であり、その不足分は財政調整基金(預金)の取り崩しで賄うとしてます。

令和2年11月19日に開かれた市議会「庁舎及び福祉会館建設等庁舎特別委員会(庁特)」で、驚くような事態が報告されました。

それは「令和2年8月に公表した本市の防災マップに掲載している浸水予想区域図に対応した庁舎機能の確保について、現在検討しているところです」というものでした。

この浸水予想区域図は、令和元年6月27日に東京都から通知されたもので「新庁舎建設エリアの建物部分、駐車場、広場の部分が1メートルの浸水深となる」というものです。

4か月後の令和元年10月31日に、市と設計事業者とCM(コンストラクション・マネージメント)事業者による「機械設備分科会」でこの情報は共有されるが、報告は公にされず、具体的に対応されることもない中で、令和2年2月、基本設計が完成し、さらに、令和2年6月、実施設計に入ったのです。

CMとは、市には技術系職員が不足し、大規模な事業の実績もないことから、知識や経験の豊富な専門家に、本事業を包括的に管理運営してもらうため委託した事業者です。

問題は、令和元年6月に情報を得ていたが、それを議会に報告することもなく着々と事業を進め、市長は「令和2年11月以降は設計変更はできない」とまで発言しています。

令和2年8月、外部から「新庁舎に浸水の危険性はないか」との問合わせで、市当局はここで設計上の対応策を取らざるを得ないとの認識に立ち、その検討に入ったのです。

その結果が令和2年11月19日の市議会での報告となりました。

令和3年第1回定例会に、浸水予想区域図の改定に伴い、新庁舎・新福祉会館の浸水対策等を講じるため、実施設計の見直し業務を委託するため、約1千800万円の補正予算が3月8日市議会本会議で可決されました。

また、基本設計の作成中に設計事業者もCMも情報を共有してたにもかかわらず適切な対応もせず、1千800万円の設計変更の費用を小金井市だけが請求通り全額を負担することも問題です。

(つづく)

走り続けた16年(186)

コロナ禍について②

新型コロナウイルスの感染拡大が進む中、信じられないような課題、問題が次々と顕在化しました。

先ず、世界の科学技術の先頭を走っていると思われていた日本の医学が、このコロナワクチンを米、英、中、露の各国が生産に成功しているのに、国内では生産できず、他国と競っての不安定な輸入に頼らなければならないということが信じられません。そのため、諸外国と比べて接種の時期が遅れ、ようやく始まったが接種率が著しく低く、国も自治体も準備期間が十分あったにもかかわらず、混乱が続いているのは残念です。国は、将来を見据えたワクチン生産の対策を早急に進める必要があります。

また、わが国は先進国の中でも病床数が多いとされてたが、コロナの重症患者により重症病床が満床になり、医療崩壊が起こりつつあります。病院が満床で入院が不可能であるにもかかわらず、通院による感染を恐れ病院離れが起こり、経営が困難にあるともいわれています。そのため、感染の危険の中で活躍する看護師のボーナスの減額なども報道されています。家族等の協力で、献身的に医療に従事する医療関係者には感謝の思いと、恵まれた環境の整備が必要だと思います。

このコロナ禍の令和2、3年の入学式や卒業式、入社式も簡素化され、成人式も中止されるなど、節目に当たる若者たちは本当に不運だと思います。念願叶って入学した大学の授業はリモートでキャンパスも使用できず、友人をつくる機会もなく、入学金や授業料だけは通常通りというのは到底納得できるものではありません。

時を経て、この期間を振り返って、氷河期と呼ばれないようにしなければなりません。

このコロナ禍での非常時、諸外国の厳しい私権の制限が報道されてます。しかし、我が国においては法に基づいての人権を優先することから、非常時における私権の制限が、諸外国と比較して徹底できないという問題点も顕在化しました。

コロナ禍により新生児の出生数が減少となり、一層の人口減が進むことになりました。

経済活動の停滞で直接影響を受けるのは社会的弱者といわれる人々です。今こそ、国も都も市にも、「誰ひとり取り残さない政治」が求められます。

このコロナ禍を契機に変革が進み、社会は一変すると思います。

昨年、令和2年10月2日の小金井市議会全員協議会で、令和3年度から令和7年度まで5年間の財政計画が当局から示されました。これは、平成20年9月の投資銀行リーマンブラザーズ倒産に伴うリーマンショック時の影響を参考に、年間約11億円の減で5年間で約55億円減収。さらに、地方消費税交付金の減も年間約1億3千万円、5年間で6億5千万円の減を見込み、合わせて61億5千万円の減収とされています。

この、歳入の減に対し、歳出の扶助費は子育て環境の整備や経済悪化による生活困窮者支援の増により、大幅増額が想定されます。

リーマンショックに直面した私は、一過性であり数年で回復できると信じていました。今回のコロナ禍は先が見えず、5年で元に戻るのは困難と思われ、政策の大幅な見直しが必要になりそうです。

(つづく)

走り続けた16年(184)

市議選の結果について

令和3年の本年は小金井市にとって選挙の年となり、3月に市議選、7月は都議選、そして、衆議院の任期は10月21日までであり、それまでに、解散か任期満了による総選挙が行われることになります。そのため、各級選挙の立候補予定者による二連のポスターが目立っています。

今年に執行される選挙は、新型コロナウイルスの感染拡大により例年と異なる形の選挙になっています。選挙と握手はつきものですが、コロナ禍で握手もできず、さらに、顔と名前を覚えてもらい、政策を理解してもらうのが選挙ですがマスクで顔を覆っての選挙、支持者訪問もはばかられる状況であり、支援者を集めての集会も開きにくい状況です。

その様な中で行われたのが小金井市議会議員選挙でした。

3月21日に執行された選挙には、24人の定数に36人が立候補するという大混戦になりました。内訳は現職が21人、元職が3人、新人が12人で、結果は現職が20人、元職1人、新人が3人の当選となりました。元職の1人は先の市長選出馬で市議を辞職した森戸洋子さんの復帰で、新人は、引退した共産党と生活者ネットの後継者2人と古畑俊男さんです。新しい風とすれば実質古畑さん1人で議会構成等に大きな変化のない選挙結果でした。

新しい議会の会派数は11で、最大会派が5人の自民党・信頼、次が4人のみらいと共産党、3人が公明党、2人がこがねいをおもしろくする会。残りの6議員が1人での会派になります。

落選は現職の篠原ひろしさんと元職2人、新人9人でした。その結果、西岡市長の与党は1減の4人となり、さらに、与党から議長が選出されたことで、厳しい議会運営になることが想定されます。

一方、野党は自民・信頼、公明、共産の12人となります。また、いわゆる「ゆ党」と言われる議員が8人になります。

選挙で市議を9期務め、議長経験のある最長老の篠原さんの落選には驚きました。

西岡市長は市長選挙の選挙公報で、私が市長を務めた16年間、行財政改革が進まなかったと厳しい批判をしました。しかし、「行革一筋」を謳い文句にする篠原さんとは力を合わせて行革を進めた結果、職員数は915人が671人と244人の減員、人件費は約100億円が60億円となり40億円の減額、ワースト日本一と言われ続けた人件費比率も32%から15%と半分以下に下がり、永年の悲願であった他市並みになったのです。

これは、篠原さんをはじめ志ある議員と、職員の身を切る協力があって達成できたのです。その篠原さんとの30年間はお互いに市政に関わる者として小金井市の財政再建に取り組み、大きな成果を上げたとの思いであり、篠原さんには感謝してます。それを、西岡市長に理解してもらえないのは残念です。

私たちの生活に最も身近な市議選の投票率が40・18%で、過去最低の前回の39・54%は上回ったものの、当日の有権者が10万1千61人ですので、投票した人が4万606人に対し、6万455人の有権者が棄権したことなのです。

投票率の向上のためには、期日前投票に第二庁舎の6階でなく、宮地楽器ホールを使うなど工夫が必要です。

(つづく)

走り続けた16年(178)

「或る障がい者の死」③

昭和59年、身体、知的に重度の障がいのある山ヵ絵里さんが26歳の時、両親と3人で前原町に転入しました。他の自治体での障害者施設の運営に懐疑的だった山ヵ家は、絵里さんの介護は自宅での母の手厚い介護でした。

しかし、平成7年、その母が亡くなったことから、小金井市障害者福祉センターに父恭一さんの押す車椅子での通所となり、10年間多くの友だちや職員にも恵まれ、充実した日々を送りましたが、絵里さんの体力も衰え四つ這いでの室内の移動も困難になり、さらに恭一さんの病気も重なり、止むを得ず平成16年絵里さんは八王子市館町の八王子療護園への入所となりました。

平成24年11月25日、父恭一さんが死去し、その遺書には全財産を「小金井市の障害者福祉事業に寄付する」とありました。これは、障害者センターでの絵里さんの生活が、いかに充実していたかを証明するものでした。

恭一さんの遺産の1億円超は、遺書にある小金井市と相続人である絵里さんの遺留分とで折半となりました。

絵里さんは、平成22年に卵巣がん、24年肺に転移し手術。2年後の26年には肺がんが再発したが、体力的なことから外科的な治療はしないとしました。その後も、日常的な変化はなく元気であり、食欲の減退等もみられませんでした。

私は、恭一さんの「将来的に生活が維持継続できるように」の遺言が常に頭をよぎるのでした。

平成25年、私は市の担当職員と八王子療護園を訪問しました。療護園の絵里さんは、支援員の支えもあり、寝たきりでしたが、恵まれた環境の中で元気に過ごしていました。

その後、恭一さんの遺骨を絵里さんのお母さんの眠る多磨霊園みたま堂に、絵里さんと親しい人たちで納骨をしました。その時、私が予てより計画していた絵里さんとセンター所長の吉岡博之さんの10年ぶりの再会を果たすことができました。絵里さんは満面の笑みで声を出して喜んでいました。それは、文字や言葉では表せるものでなく、私も、涙が出る程の嬉しさでした。

これを契機に吉岡さんと私は療護園にイベントに合わせて訪問することになりました。

絵里さんは、遠足と称しての外出にあたっては小金井市を希望して、多磨霊園での両親の墓参の後、絵里さんの好きな寿司を皆で食べ、その後、通所していた障害者福祉センターの訪問がコースで、友だちや職員との再会には大喜びでした。

市長を退任して約1年後の平成28年秋の叙勲で私が叙勲の栄に浴し、知人の皆さんが発起人となって祝賀会の準備が進められていました。絵里さんに出欠を尋ねると、出席したいとのことで、施設側もこの様な機会は無いので、車や人員は確保するので是非出席させてあげてほしいとのことでした。本人は大喜びで何を着ていくか気を揉んでると聞きました。平成29年4月、立川パレスホテルでの祝賀会には笑顔で出席してもらいました。

また、同時期に絵里さんの思考力に変化が生じていることを知らされました。絵里さんには財産を相続する人がいないため、もしもの時には財産は全て国庫に帰属することになります。国の帰属となることに対しては、絵里さんの周辺の誰もがそれを望みませんでした。そのためには、公正証書等の作成作業を早急に進める必要が生じたのです。

(つづく)

走り続けた16年(175)

高齢者の交通事故

交通事故による被害者は高齢者や子どもが多く、また、二輪車の事故も増えています。

高齢者の事故は、横断禁止の道路を横切ることにより、走行中の車やオートバイと接触し、怪我をしたり、場合によっては亡くなってしまうような事故も多発しています。

遠回りであっても横断歩道を渡り、信号を守り、青信号でも点滅が始まったら無理しないで次の青信号を待つことが必要です。

高齢ドライバーの運転する車の事故も多発しています。

平成31年4月19日の昼過ぎ、池袋で起きた自動車暴走死傷事故は大きな社会問題となりました。それは、高齢男性(事故当時87歳)の運転するオートマチック車が暴走し、交差点の歩道を渡っている31歳の母と3歳の女児の乗る自転車をはね飛ばし、死に至らしめ、さらに、多重衝突事故となり、運転者と同乗者を含む10人が重軽傷を負いました。

高齢者の暴走事故の多くは、ブレーキをかけるつもりが、誤ってアクセルペダルを踏み急発進・急加速となり慌てて、さらに踏み込む加速でパニックとなり、車をコントロールできず衝突につながっています。これは、立体駐車場やコンビニ、スーパーの駐車場でも起こっています。

池袋の暴走死傷事故もこのケースと思われます。この事故の運転手は、かつて通商産業省(現・経済産業省)の高官であり、クボタの副社長であったためか、現行犯逮捕されることもなく、当初は容疑者と呼称されていないことなどから、特別扱いではないかと多くの批判が出ました。

裁判の公判では、「ブレーキペダルと間違えてアクセルペダルを踏み続けた」との起訴内容に「記憶にない」と否認し、「車に何らかの異常が起きたと思う」と無罪を主張しています。

この悲惨な事故により、多くの高齢者が運転免許証の自主返納をすることが報じられました。また、各地の警察は運動機能の低下する高齢ドライバーの事故を未然に防ぐため、運転免許証の返納を促す活動に力を入れているようです。

車の自動運転の発達などの安全対策が急速に進んでいますが完全とは言えず、危険は常に伴います。

私も1昨年11月悩んだ末、最後とする免許証の更新をしました。

その2か月後の1月28日に車検が切れることから、26日に銚子での義母の17回忌に行くのを最後のドライブにし、その日に車を手放すことにしました。

その後、1年が経ちましたが、散歩が趣味の私には、特段の不都合は感じていません。

丁度10年間乗ったトヨタプリウスの走行距離は1万4千941kmと短いものでした。

普通免許を取得したのが昭和39年12月9日でしたので57年間乗り続けたことになりますが、この間、無事故で違反は駐車違反程度で終えられたことは幸運だったとの思いです。

安全運転には自信がありましたが、事故に遭わないという保証はなく、事故を起こせば加害者が、結果的には被害者になってしまうこともあります。

高齢者の免許証自主返納を促進させるため、市としてもココバスや体育施設、美術館など公共施設の割引や無料化などを活用してはいかがでしょうか。

(つづく)