職員とのランチタイム
昭和60年から14年間の市議会議員時代、私は徹底して職員組合と対立してきましたが、職員との信頼関係は築いてきました。
しかし、財政再建には職員組合の協力なくしては果たせません。
職員組合の立場は尊重するが、労使交渉等での精神的、肉体的苦痛を伴い、自尊心を傷つけるような暴力的言動は許さない。また、労使関係に配慮し、歴代市長が黙認してきた罵詈雑言も許さない。と、私は組合に伝えました。
それは市民により選ばれたものの、誇りと責任だと常々感じていたことなのです。
労使がお互いの立場を尊重することで、財政健全化が進みました。
長かった議員時代もあり、1000名近い職員の名前はほとんど覚えることができました。
そのため、私は職員を役職で呼ぶのではなく、苗字で呼んでいました。
昼食は、第2庁舎の8階にあった軽食堂で職員とともにしました。
しかし、この軽食堂は採算が合わないことから、撤退され後を引き受ける業者もなく閉鎖したのは残念でした。
それ以降の昼食は市役所近くの店で済ませ、職員がいれば同席して意思の疎通を図り、料金は公選法等も念頭に私が負担させてもらいました。
時間がある時は、第二庁舎7階の教育委員会から下の階へ全部の課を回り、ひとりひとりに声を掛けるなど意見交換をしました。
また、庁内放送を使ってその時の課題や私の考え方も伝えました。
兎にも角にも、職員の理解なくしては財政再建は果たせません。
職員とも職員組合とも、信頼関係の構築に努めました。
職員組合もトップが変わり、民主的な組合に変身しました。
その結果が、財政再建に繋がったのです。