さくら通信

ゴミ拾い(その1 )
星野哲郎の空き缶拾い

私の選挙や政治活動を支えてくれた作詞家・星野哲郎(有近 哲郎)氏は、夜明け前の暗い時間に梶野町の自宅を出られて、小金井公園で空き缶拾いをされていました。

荒天の時、奥様から「今日はやめたらと言われると、ムキになって出かけるんだよ」と笑って話していました。

その日に拾った空き缶の数と、それまでの合計を記入した手帳は、細かい数字でびっしりでした。また、節目の数になると連絡をいただいていました。

星野さんには、小金井市の教育委員も務めていただきました。

平成9年12月定例会での任命には退席9議員で、他は全員が賛成だったのが、平成13年12月議会では、賛成14反対7退席2で同意されましたが 、7人の反対はショックで、星野さんは教育委員を辞退したいと伝えてきました。

市役所近くの星野哲郎事務所で話しあったが翻意に至らず、数日後に手紙が届き「 私にも名誉も誇りもある。あなたに頼まれると断りにくいので、これ以上説得しないでほしい」という内容の手書きの手紙が届きました。

いかに粘り強い私も諦めざるを得ませんでした。

その後、星野さんは蟹工船も作詞しているんですね、の声もあったが後の祭りです。

腹の中で「みだれ髪などを歌うなよ」と言っていました。

星野さんは、小金井市最初の名誉市民てす。

 

走り続けた16年(96)

市制施行周年事業⑤

本年の市制60周年事業の目玉は、林望先生らによる小金井市歌の制定になると思われます。東京都歌のように誰にも歌われずお蔵入りになることを危惧しましたが、我が家の娘が「高校2年の時、都の洋上セミナーで2週間中国に行った時、毎朝歌ったので今でも忘れず都歌は歌える」には驚きました。

周年事業の大きなエポックは半世紀の50周年で、巡り合わせて平成20年に私が担当することになり、様々な事業を展開しました。

記念式典での市政功労者等受賞者は572名にも及びました。

7月末の、「中東和平プロジェクトin小金井」はイスラエルとパレスチナの紛争により肉親を失った両国の高校生を小金井に招いての事業で、特に印象に残っています。平和を願い、両国の憎しみの連鎖を断ち切ることを目的に、庁内にプロジェクトチームを結成し、両国の遺族による遺族会との繰り返しの協議、両大使館や外務省、警視庁との打合わせを重ね、絶対に失敗の許されない事業に全精力を傾注しました。小金井での両国の高校生はペアでホームステイし「お互い銃を向け合うのは止めよう」との会話に事業の成功を確信しました。

帰国に合わせて、全員で首相官邸を訪問、その成果を報告しました。また、麻生太郎総理大臣が9月の国連総会の一般討論演説で、この事業を詳しく世界に向け発信しました。

「あなたたちは、私たちに忘れられない経験を与えてくださいました。一生に一回のこの並外れて素晴らしい経験をさせてくれたすべての人に感謝したい」とのお礼状は平和に向けての一粒の種が蒔けたとの思いです。

50周年巡回ラジオ体操は会場の小金井公園に3千400人を超える人々が集い、NHK教育テレビで全国に生中継されました。

また、名誉市民条例を制定し、作詞家の星野哲郎、スタジオジブリ監督の宮崎駿の両氏を小金井市初の名誉市民に選定しました。

メインエベントの「黄金井・11万人のキャンドルナイト」は市の公募により採択された事業で、11月8日(土)都立武蔵野公園の野川沿い約2㌔㍍に4千個のキャンドルを並べたキャンドルロードが作られ、足元に並ぶキャンドルに照らされた野川沿いは幻想的な世界が広がり、約2万5千人の人々が虫の音や川のせせらぎの中を、思い思い歩かれました。また、電気を消し、ロウソクを点してゆったりした語らいの演出をしたライトダウン・キャンドルナイトの呼び掛けに各家庭が呼応し、幻想的な一夜となりました。

11月は、東京学芸大学で、隣接する7市との8市長サミット・シンポジウム「雨を活かすまちづくり50年の継承」を公開で実施し、環境問題に関する共同宣言を採択しました。

55周年の平成25年、調布飛行場を離発着する飛行機からナスカの地上絵ならぬコガネイの地上絵の制作は、計画した場所の許可が得られず各学校や小金井公園、武蔵野公園に20〜30年は消えない子どもたちの思い出の絵を描いてもらいました。

周年事業を契機に小金井市の歴史を振り返り、更なる躍進の礎にしたいものです。

(つづく)