走り続けた16年(234)

「今、市政で何が」西岡市長辞職③

「政治の評価は歴史により定まる」といわれますが、政治は歴史の評価に耐えられなければなりません。特に為政者である市長は常に批判の対象で、退任しても鬼籍に入った後も、常に法廷の被告席に立たされているのです。裏返せば、それだけ市長には大きな権限が与えられているということです。

問題はその評価が公平であるか否かです。

私も、市長16年間の評価には神経質になります。財政再建、街づくり、ごみ問題や庁舎問題など、その時々の課題に職員や議員、そして、市民が身を削る努力で進められたものが、曲解された場合には私が反論せざるを得ませんでした。

老朽化した福祉会館の建て替えは、5年前の平成31年10月開館の予定で計画を進めていましたが、西岡真一郎市長は就任早々議会の頭越しにこの計画を中止させました。それは、67億円で庁舎、福祉会館、図書館等6施設の複合化を完成させることの選挙公約で当選したからです。西岡氏は平成28年1月、当選後の初議会で「庁舎等6施設複合化は直近の民意であり、これを果たすのが私に課せられた使命であり、何としても果たさなければならない」と公約の実現を力強く宣言しました。しかし、5月には超目玉策の図書館を除き4施設に縮小し、これを「私の揺るぎない方針とする」とし、さらに、10月には庁舎等建設計画は「ゼロベースで見直すことを決断する」との変遷で、選挙公約は1年も経たない内に白紙撤回となり新庁舎等の建設計画は宙に浮いてしまいました。

一方、庁舎建設用地取得費80億円の借金返済や新庁舎建設基本構想や基本計画の作成、建設基金の積立など着実に前進していた庁舎問題にも、「27年間動かなかった庁舎問題が西岡市政で動き出した」との事実に反する選挙広報で2期目の選挙に大勝しました。

西岡氏の7年間は市議会との信頼関係を構築することができませんでした。一般的に自民・公明党候補に勝利した保守・中道候補は、次の選挙までに自・公を取り込んで与党体制を確立していくものですが、それが果たせず終えました。

西岡氏辞職の直接の原因は、市立保育園2園の廃園の条例改正を議会の議決を経ず「専決処分」したことに賛成する議員が2人、反対議員が20人で不承認となったことです。

「専決処分」は、議会を開く暇がない時などに認められる市長の特権ですが、議会で大きく意見が対立している案件、また議会の開会中は有り得ないことです。不承認になった案件を元に戻し、残り1年2か月の任期は辞めずに課題解決に努めるべきだったのです。

市長が議会への最後の対応は「報告」と称する一片の文書で、「小金井市の持続可能で豊かな未来と、現在そして未来の子どもたちのために必要であるという考えに変わりはなく、専決処分によって改正した条例を再度改正する意思はございません」という内容でした。これは、不承認した議会を納得させるには程遠いものです。その様な考えであるなら、西岡市長は出直し選挙で「市民の信を問う」という手段もあったと思われるのです。

この7年間、小金井市政にどの様な進展があったのか、また、西岡市政が残した課題が何なのか、今後問われることになります。

(つづく)

走り続けた16年(233)

「今、市政で何が」西岡市長辞職②

西岡真一郎市長が令和4年10月14日、任期を1年2か月ほど残して辞職しました。

辞職の理由は、9月議会に、市立保育園2園を段階的に縮小した後、廃園にする内容の保育園条例の改正を提案しました。これが厚生文教委員会(以下、厚文)で審査されていましたが議決に至らず、専門家を招いて公聴会を開くため継続審査となりました。これに対し西岡市長は9月29日地方自治法に基づき「議会が議決しない」ことを理由に、議会の議決を経ず専決処分しました。専決処分した場合、市長は直近の議会においてこれを報告し承認を求めなければならないことから西岡市長は10月7日の本会議で承認を求めたが、賛成は僅か2人で20人の議員が反対し不承認となりました。不承認となっても先決した改正条例の効力に影響はないが「市長は必要な措置を講ずる」との定めがあり、西岡市長はその対応策が示せず「辞職を選択」したのです。市議会は同日、14日付けの辞職に全会一致で同意しました。

西岡市長は辞職に当たって「小金井市の持続可能な未来と子どもたちのために苦汁の決断をした」と発言していますが、果たしてそうなのでしょうか。

この一連の流れが不可解です。厚文で4対3で継続審査が決定したのはやむを得ないとしても、この継続の決定を本会議で全会一致で認めたことです。もし、本会議で継続審査に「反対」との発言が出たら、議長は「反対がありますので起立採決を行います」となり議会では廃園に賛成する議員が多数なので、継続審査にはならなかったと思います。その後厚文に差し戻し審査を継続し、日時を付して厚文で決着させる動議を提出するのです。厚文での採決では条例は否決されるが、本会議で逆転可決できるのです。これを何故しなかったのか。

西岡市長においては議会の継続議決を尊重し、残り任期の1年2か月、時間をかけて目的を果たすべきです。また、圧倒的多数の議員が不承認とした案件は一旦元に戻すことも考えるべきで、それが「小金井の持続可能な未来と子どもたちのため」になるのです。諸施策に行き詰まり、混乱させて放り出すのは責任放棄です。

西岡市長の辞職で、次の市長は自らの考えとは関係なく20人の議員の反対で不承認となったが、効力の残る廃園問題に取り組まなければならないのです。

この間、市長の提案で議会と行政で建設可能な成案を見いだすため「庁舎等建設に関する協議会」を設置し、まとめの段階に来たが市長辞職でどうなるか。また、緊急を要する市立第一小学校の建て替えや武蔵小金井駅北口の整備などは切迫しています。少なくとも西岡市長は専決処分を取り消すなど、直面する保育問題だけは解決すべきでした。後に大きな混乱を残し、引き際の美学にはほど遠いものになりました。

本年3月議会で、市長の退任を求める声が出始め、6月は不信任案提出の動きもありました。そして、9月議会でも再度その動きはありましたが、3分の2の出席で4分の3の議員の賛成には届かなかったと思われます。辞めなければならない理由はないのです。

市長職は孤独で辛い事も多いが、市と市民の喜びを糧に、泥臭くとも粘り強く諦めず頑張るものなのです。

(つづく)

走り続けた16年(232)

「今、市政で何が」西岡市長辞職

西岡真一郎市長が10月14日付けで辞職することが7日の本会議で決定しました。

市立保育園を廃園するための条例改正を「議会が議決をしない」ことを理由に、議会の議決を得ず専決処分で決しました。この専決処分を承認するか否かが議会に諮られ、市議会は賛成が2人、反対は与党議員や、廃園に賛意を示す議員も含め20人となり不承認が決定しました。これを受け、西岡市長は市議会議長に辞表を提出、市議会はこの申し出を受け、本会議で14日に辞職することを全会一致で同意しました。専決処分は地方自治法(以下・法)で定められた市長の権限で「議会を開く暇のないとき」などで実行されるもので、大きく議会の意見が異なる課題での強権の発動は、市長と議会の二元代表制の下では禁じ手であり、より慎重な判断を要します。

専決処分が不承認でも法的拘束力はなく、廃園対象の2園は来春からゼロ歳児の募集を停止し、段階的に縮小され5年後には廃園になります。その効力に影響はないが、法では「市長は必要な措置を講ずる」と定められており、西岡市長は「辞職は法に基づく判断である」とも報じられていますが、辞職ではなく改めて廃園問題に取り組むべきです。保育園に通う子どもたちの保護者からは「辞職は責任放棄で、最悪の置き土産を残した」などの声も出ています。辞める前にこの問題を解決するのが責務だったと思われます。

「日本一の子育て環境」を唱える西岡市長が保育問題で行き詰まり、急を要する新庁舎や福祉会館の建設や市立第一小学校の建て替え、武蔵小金井駅北口の再開発などの課題に行き詰まり、投げ出しての辞職は責任放棄とのそしりは免れ得ないものと思われます。

市長の専決処分に副市長、教育長、部長職の出席する庁議でも、法的問題や議会対応を懸念する声も多く出されたようです。

また、この結果について地方自治の有識者による意見も厳しいもので、近隣の市役所でも驚きの声が出ていたようです。

私は市長就任直後、危機的財政状況にあることから、6月1日のボーナスの基準日の前日、自らの報酬10%とボーナス30%のカットを専決処分しました。6月議会に、この承認を提案し承認はされましたが、私の市長選挙を応援してくれた複数の議員からも非常に厳しい指摘を受けました。自分の報酬を下げる案件についてもです。市議にとって専決処分は「議会の議決権を奪う」、「議会軽視の暴挙」、「市長の暴挙・暴走」との評価となり、なかなか容認されるものではないのです。

西岡市長は次の市長選には出馬しないことを表明しています。

小金井市長は初代の鈴木誠一氏から西岡氏まで9人です。その中で5人の市長が任期途中で辞職しています。任期満了での退任は4人で、その中で再選、再々選が果たせず退任が2人で、自らの意思で任期を終えた市長はわずか2人です。

私の場合は複雑で、2期目当選1年後に当初予算が否決されたことから「民意を問う」と出直し選挙を表明しながら辞職し当選。その後、平成23年の東日本大震災直後の選挙で落選。6か月後、新市長の辞職に伴う市長選挙に立候補して当選し5選4期満了で終えることができました。

(つづく)