「今、市政で何が」西岡市長辞職③
「政治の評価は歴史により定まる」といわれますが、政治は歴史の評価に耐えられなければなりません。特に為政者である市長は常に批判の対象で、退任しても鬼籍に入った後も、常に法廷の被告席に立たされているのです。裏返せば、それだけ市長には大きな権限が与えられているということです。
問題はその評価が公平であるか否かです。
私も、市長16年間の評価には神経質になります。財政再建、街づくり、ごみ問題や庁舎問題など、その時々の課題に職員や議員、そして、市民が身を削る努力で進められたものが、曲解された場合には私が反論せざるを得ませんでした。
老朽化した福祉会館の建て替えは、5年前の平成31年10月開館の予定で計画を進めていましたが、西岡真一郎市長は就任早々議会の頭越しにこの計画を中止させました。それは、67億円で庁舎、福祉会館、図書館等6施設の複合化を完成させることの選挙公約で当選したからです。西岡氏は平成28年1月、当選後の初議会で「庁舎等6施設複合化は直近の民意であり、これを果たすのが私に課せられた使命であり、何としても果たさなければならない」と公約の実現を力強く宣言しました。しかし、5月には超目玉策の図書館を除き4施設に縮小し、これを「私の揺るぎない方針とする」とし、さらに、10月には庁舎等建設計画は「ゼロベースで見直すことを決断する」との変遷で、選挙公約は1年も経たない内に白紙撤回となり新庁舎等の建設計画は宙に浮いてしまいました。
一方、庁舎建設用地取得費80億円の借金返済や新庁舎建設基本構想や基本計画の作成、建設基金の積立など着実に前進していた庁舎問題にも、「27年間動かなかった庁舎問題が西岡市政で動き出した」との事実に反する選挙広報で2期目の選挙に大勝しました。
西岡氏の7年間は市議会との信頼関係を構築することができませんでした。一般的に自民・公明党候補に勝利した保守・中道候補は、次の選挙までに自・公を取り込んで与党体制を確立していくものですが、それが果たせず終えました。
西岡氏辞職の直接の原因は、市立保育園2園の廃園の条例改正を議会の議決を経ず「専決処分」したことに賛成する議員が2人、反対議員が20人で不承認となったことです。
「専決処分」は、議会を開く暇がない時などに認められる市長の特権ですが、議会で大きく意見が対立している案件、また議会の開会中は有り得ないことです。不承認になった案件を元に戻し、残り1年2か月の任期は辞めずに課題解決に努めるべきだったのです。
市長が議会への最後の対応は「報告」と称する一片の文書で、「小金井市の持続可能で豊かな未来と、現在そして未来の子どもたちのために必要であるという考えに変わりはなく、専決処分によって改正した条例を再度改正する意思はございません」という内容でした。これは、不承認した議会を納得させるには程遠いものです。その様な考えであるなら、西岡市長は出直し選挙で「市民の信を問う」という手段もあったと思われるのです。
この7年間、小金井市政にどの様な進展があったのか、また、西岡市政が残した課題が何なのか、今後問われることになります。
(つづく)