走り続けた16年(251)

水道料金で市政は大混乱

初代市長の鈴木誠一氏の任期中、職員組合M委員長の懲戒免職や累積する赤字解消のための水道料金の大幅な引上げ等を、助役の立場で支えた関綾二郎氏に市政が引き継がれ、懲戒免職職員の復職や強引に引上げた水道料金の引き下げで市政に激震が走りました。

昭和40年9月定例会で前年度の水道事業決算審査で監査委員から「水道事業の赤字解消のため、あらゆる方法を検討し、財政の健全化に努めるように」と指摘されました。水道事業は独立採算制で人口急増により消費量も増え、それを賄うための拡張工事で赤字が累積されていました。決算審査は多数与党により認定されました。

それを受けて、水道料金の引上げ案が12月定例会に提案されました。当局は「内部努力で赤字解消を試みてきたが赤字は増え続け、値上げの提案をせざるを得ない状況」との説明でした。提案の平均の引上げ率が61・1%と大幅であることと、その提案内容を野党議員が新聞報道で知ったことから「議会軽視」と指摘され、理事者側は陳謝したが収まらず議会に上程される前から波乱のスタートとなりました。

この値上げ案は給水管の口径(太さ)により基本料金が設定され団地の給水管は一般家庭より太く値上げ幅が大きくなることから、市内の各団地自治会が連絡協議会を結成し反対運動の核となり、水道料金の引上げは全市民に影響を与えることから反対運動は全市に広がりました。

年が変わった昭和41年に入り、水道料金改正案は議会で廃案となり、当局の再提案が繰り返され臨時会も2回も開かれたが選挙も近いことから野党の抵抗も激しく足踏み状態が続きました。

8月27日に招集された臨時会は会期が延長された9月1日、想像だにしない前代未聞の大変な事態となりました。前日が深夜議会だったことから開会は遅れると思われたが、午前10時前に与党の15議員が議席に着き、野党は共産党の一人だけ。10時1分、信山重由議長の開会宣言と同時に与党の岡ムメ議員が挙手し、値上げ案の必要性を説明し、質疑、討論、委員会付託を省略し、直ちに採決する動議を提案し、動議は賛成多数で可決。直ちに値上げ案の採決となり可決成立しました。1年もの間議論が続いていた案件がわずか数分間での決着でした。「強行採決」ではあるが議決されたことで当局は9月からの値上げを実施しました。

しかし、この波紋は大きく、9月議会で信山議長の不信任案が提出され可否同数で竹川明副議長の裁決で可決されました。その後、竹川副議長、信山議長が辞職願を提出し双方とも許可されました。

反対運動が盛りあがる案件を前代未聞の強行採決で、反対運動はさらに盛り上り、水道料金の不払い運動に発展しました。そのため、当局は遅延する水道料金に延滞金を課すことを決めました。全面対決です。

昭和42年4月の市長と議員選挙で、鈴木市長に代わって関市長の登場となり、市議会は革新の進出で保革伯仲となりました。

関市長は選挙中も水道料金の見直しを示唆し前年9月に大混乱の中で引上げられた水道料金は10か月後の6月定例会に提案され、7月11日の本会議で原案通り引き下げが議決されました。

(つづく)