走り続けた16年(159)

平和を考える8月

今年も平和を考える8月が来ました。しかし、終戦から75年の時を経て、戦争体験のある方々も少なくなり、その体験を聞くことが次第に難しくなってきました。

夏休みやお盆で帰省し、家族が揃ったところで、戦争の悲惨さ、平和の尊さを話し合い、親戚等で、志半ばで戦争により犠牲になった方々を偲ぶ時でもあり、決して風化させてはなりません。

しかし、今年は異例の8月となりました。それは、かつて人類が経験したことのないような新型コロナウイルスの感染拡大の勢いが衰える様子はなく、世界中で猛威を振るっています。我が国も、前例のないこの感染拡大により、経済、教育、スポーツや芸術・文化等あらゆる分野に影響を与えています。私たち一人ひとりが「新しい日常」の実践が必要になります。

本年はコロナ禍の影響で、例年の平和行事や追悼行事は中止、もしくは縮小されているのは残念ですが、やむを得ないことです。

私も戦争被害者の一人として、市長在任中は市のできる平和事業を考えてきました。

武蔵小金井駅北口のブロンズの平和の塔は昭和37年建立、裸婦像は彫刻家尾形喜代治氏の作で、私が小金井市に越してきて住んだアパートの大家さんでした。また、台座の揮毫はノーベル物理学賞授賞者で平和活動家の湯川秀樹氏のものです。これが北口整備で撤去の話になりました。ブロンズ像は手入れもされず痛みが激しく、台座は途中で切断しなければならず、整備に合わせ新たなものの作成を勧められましたが、残す決断をしました。

さて、北口整備が完了し取り出したブロンズ像は、とても駅前の中心に設置できるものではなく、再び防災倉庫に保存することになりました。この像に手を加えたら尾形氏の作品ではなくなることから悩みました。そこで尾形氏のお孫さんが彫刻家を引き継いだことを思い出し尾形家と話し合い鳥屋尚行氏に補修をお願いしました。都の協力もあり、北口に復活したのです。

昭島市役所庁舎の南側に、6メートルを越すアオギリが植えられています。この木は、昭和20年8月6日、一発の原子爆弾により広島の街は廃墟と化し、14万人もの市民が亡くなりました。爆心地から約1・3キロメートルの地点で、熱戦と爆風で幹の半分が焼け焦げ、枯れ木同然だったのが、翌春、奇跡的に芽を吹き、失意の広島市民に勇気と希望を与え、広島復興の支えとなった被爆アオギリの2世だったのです。

平成21年8月、小金井市は平和市長会議(平成25年に平和首長会議に改称)に加入しました。

小金井市もこのアオギリを「平和のシンボル」にしたいと、事務的に平和首長会議にこのアオギリの提供を要請しました。担当職員には強い思いが伝わるようにお願いし、私は、別に広島市長に直筆の手紙で要請しました。

平成27年2月、平和首長会議から念願の全長30〜40センチメートルの被爆アオギリが送られてきました。

現在、このアオギリは武蔵小金井栄北口の西側信号機の側で、6メートル位に成長しています。ぜひ、市民の皆さんには、この平和のシンボルの成長も見守ってください。

(つづく)

走り続けた16年(21)

世界平和への思い③

平和、そしてスポーツの祭典であるブラジル、リオデジャネイロオリンピックが開催されています。

日本勢の大活躍もあり、多くの人に夢や希望、勇気や感動を与え、たくさんのドラマが生まれています。これから、パラリンピックも行われます。

4年後の東京オリンピック・パラリンピックに向けての弾みにもなり、さらに盛り上がっていくことでしょう。この祭典が世界平和に向けての大きな一歩になることを期待します。

8月2日午後、小金井市の平和のシンボルとなるアオギリが西岡真一郎市長、関根優司総務企画委員長によって武蔵小金井駅北口広場の西側に植樹されました。

それは、昭和20年8月6日、広島に投下された原子爆弾で14万人が一瞬にして命を奪われるなど広島は壊滅的な被害を受けました。その爆心地から約1・3㌔㍍の地点で熱線と爆風で幹を大きくえぐられ被爆したアオギリが、その後、青々とした芽を吹き、広島市民に生きる勇気と希望を与えました。その被爆樹の二世になるアオギリなのです。

これは、平成21年8月に長崎で行われた「平和市長会議」の総会において、本市も加盟したことから、アオギリが必要かとの問い合わせが広島市からありました。私は、担当に「必ずもらえるように頑張れ」と指示し、私自身も広島市長に平和事業に対する考えとともに、「小金井市は水と緑に恵まれ、植木の街でもあり、すでにアオギリの植える場所も決めており、三世、四世と増やしていきたい」と私信にしたためた程でした。

植樹の場所については、JR中央線の高架化事業の開始時、移転を余儀なくされた植木畑の白木蓮(はくもくれん)に「この木を残してください」との市民の張り紙がありました。所有者で友人の大久保佐一郎氏と相談し、JR、都の協力で場所を変えて北口に残すことにしました。

移植後も、春には白い綺麗(きれい)な花が満開でした。

それが、道路整備で再度の移植となり白木蓮には大変酷なことであり、不安は現実となってしまいました。

私は大久保氏にお詫びを申しあげ「今後、あの場所には何か記念になるものを植えます」と伝えていたので、このアオギリの植樹はそれにぴったり適うものだったのです。

戦後生まれが国民の80%を超え、悲惨な戦争を体験した人も少なくなり、その記憶が風化されることが危惧されます。それを次世代にきちんと伝えていくため、戦後70年の節目でもある平成26年第4回市議会定例会で、3月10日を「小金井平和の日」と定めさせていただきました。小金井市は空襲による被害は少なく、特に記録なども無いことから東京大空襲の日にしました。

この日に合わせ、市は平和事業を行いますが、戦争の悲惨さを風化させないために、家庭で、学校で、そして地域でも戦争の悲惨さ平和の尊さを次世代に伝えていただくことを願っています。

「世界平和への思い」は今後も適宜寄稿させていただきます。