令和時代の幕開け
令和元年5月1日、歴史的な日を迎えました。天皇陛下が譲位し上皇陛下となり、皇太子殿下が即位する。平成の時代に幕を引き、新たに令和の時代の幕開けです。私たちにとっても人生の大きな節目であり、新たな人生の希望と喜びのスタートになります。
この令和の時代、世界中の人々が平和で豊かであることを願わずにいられません。
昭和から平成に代わった30年前は天皇の崩御に伴う改元であり、その前年の秋頃から行事や催しは「自粛」する状況であり、日本全国が暗く重苦しい雰囲気でした。しかし、この度は天皇陛下生前の譲位であることから雰囲気は一変しました。
平成の時代を生きた者にとって、天皇、皇后両陛下は国民の心の支えであり、高齢にも関わらず自然災害等で被災され、失意のどん底にある多くの人々に生きる力や夢を与え続け、その御姿に国民は感動を受けました。
私と妻は平成22年10月、天皇、皇后両陛下による赤坂御苑での園遊会にお招きをいただきました。出席に当たって、経験のある先輩から会場の中心より天皇がお回りになる少し先の方にいた方がいいとのアドバイスをいただきました。この日は雨が降ったり止んだりで、風も強く非常に寒い日になり、中止を心配する程でした。
天皇、皇后が会場を回られ、私たちの前にいらっした時、天皇から「生憎のお天気でしたね」と、話しかけられました。私は「お招きをいただき光栄です。小金井市から参りました」と申し上げると、陛下はすぐ近くに来られ、そこで小金井の話になりました。
天皇が皇太子時代の昭和21年4月、目白の学習院中等科が戦災の被害を受けたことから中等科の1、2年生は小金井町の小金井公園内にあった旧文部省教育研修所に移転しました。そのため、殿下は公園内の学習院中等科で学び生活されていたのです。昭和24年12月、皇太子殿下が葉山御用邸に滞在中、その小金井の東宮仮御所から出火、御所を全焼してしまいました。東側にある光華殿は類焼をまぬかれ、今でもたてもの園のビジターセンターとして現役です。
殿下は、24年学習院高等部に進学されてからも、小金井町から通学されていたとのことで、昭和26年3月までの青春の5年間を小金井町でお暮らしになられていたのです。
その様な体験から、小金井を懐かしく話され、途中から皇后陛下も加わり「陛下は時々小金井でのことを懐かしく話されます」とおっしゃられました。当然私は「是非、小金井市にお越しください」と申し上げ、快いお返事をいただきましたが、私の任期中には間に合いませんでした。寒く雨模様の悪天候が天皇と話す機会となったのは幸運でした。
また、平成28年秋の叙勲で旭日中綬章の栄に浴し、11月9日皇居に妻と参内し、天皇に拝謁するとともに受章者を代表して陛下に御礼の言上をさせていただき、天皇からお言葉をいただいたのは一生の思い出です。
国民と苦楽を共にした30年間に感謝申し上げたいと思います。
新しい時代のスタートにあたり、私自身も長期は不要としても、短期、中期の目的を持って令和の時代を生きていきたいと思います。
(つづく)