走り続けた16年(120)

給食の委託化と都議選の顛末②

昭和50年の革新市政の時代から、人件費比率全国ワーストの市財政の危機的状況を打開するため、行財政改革を進めなければならないと、四半世紀にわたり行政も議会も延々と言い続けてきましたが、人件費地獄から脱却できないまま、平成11年4月市長に就任しました。私には、何よりも小金井市の財政再建を果すことが使命であり、行革は職員組合との厳しい交渉を経て進めていくことが第一義ですが、それも、職員や議会の協力、市民のご理解により着実に改善が進みました。

平成29年7月11日の本欄の「都議会議員選挙」についてを表題とする寄稿文は、平成25年6月の小学校9校の内5校の給食調理業務を委託することの困難さと、私が都議選で自民党候補の応援をしなかった理由の説明だったのですが、民主党市議(現立憲民主党)から「事実に反する記述だ」との厳しい反論があり、紙面でのやり取りになりました。

このことに対し、共産党が事実の解明を西岡市長に申し入れましたが、市長が事実関係を率直に回答すれば問題ないものを、これに、きちんと回答しないことから問題がこじれていきました。

平成29年9月定例会の一般質問で共産党の水上洋志議員の質問は「前市長の稲葉孝彦氏から電話があったか、それに対して民主党に何らかの働きかけをしたか」というものでした。これに対し、西岡市長は電話の有無には答えず「民主党の申し入れ記事にあるように『民主党への指示や関与はありません』との内容のとおりであると答弁します」でした。私の寄稿文では、指示や関与については全く触れていないのです。同様の質疑が繰り返されました。市長は自らの言葉で「電話はあったが、指示も関与もしていません」と答えれば済むものを、民主党の申し入れ文を引用したため議論を複雑にしました。さらに後日、引用した申し入れ文が事実と異なることを民主党議員が認めることになるのです。

そして、市民から市議会に「疑惑の解明を求める陳情書」が出され委員会での質疑になりました。

市長は委員会で「電話があったと記憶しているが会話の詳細は覚えていない」とし、その後、別の委員会では複数回電話があったと記憶している、との答弁への変遷となりました。また、民主党の岸田正義議員(現・立憲民主党)からは「『このままでは賛成できない』と、もしかしたら申し上げたかもしれません」との発言も出てきました。さらに、西岡市長も岸田議員も、市議会議員と幅広い意見交換の場があったとの発言も出ました。

議会での質疑を通じて、私の議会対応に対する厳しい批判もありましたが、「事実無根の記事」との批判は虚偽であることも明らかになりました。

選良といわれる西岡市長の与党である立憲民主党の議員は、私の寄稿文が「関係者を侮辱し、市議会の信用を著しく損なう」と表明した以上、ただ沈黙を守るだけでなく、事実経過を市民に知らせる義務があり、それが職責に対する対応ではないでしょうか。

(つづく)

走り続けた16年(59)

衆院選 ①

第48回衆院選は10月22日投開票され、与党、自民、公明両党で313議席となり、465定数の3分の2を超えました。

一方、野党は「希望の党」が政権交代を目指し、定数の半数を超える234人を擁立しましたが当選は改選前を下回る50議席に止まりました。また、公示日直前に結成された「立憲民主党」は改選前の3倍強となる55人の当選を果たしました。

7月2日に執行された都議会議員選挙では、安倍内閣の国論を二分する安保法制やテロ等準備罪等での強引な国会運営、森友・加計問題の対応の拙さや、中央政界の議員のスキャンダラスな言動により、内閣も不支持が支持を上回るなど自民党に対する厳しい批判になり、新聞やテレビを見るのが辛い日々が続く中で行われ、自民党は歴史的惨敗を喫しました。

逆に小池百合子都知事への期待は鰻登りで、テレビ等の露出度も非常に高く、小池代表の支援さえあれば、地域に関係のない人でも当選できるような状況で、都民ファーストの会は50人中49人が当選し一挙に都議会第一党に躍進しました。

安倍内閣の支持率が下降する中で、北朝鮮の核実験やミサイル発射により挑発行為がエスカレートし、危機感が高まると安倍総理の外交・防衛に期待感が生まれ内閣の支持率が上昇に転じてきた時点の9月25日に衆院解散を表明しました。

私は、自民党が絶対安定多数を占める状況にあり、課題を先送りしてまで解散する必然性がないと懐疑的でした。それは、前回の選挙で取り過ぎている分、議席数が減ると考えていました。

しかし、野党の離合集散などが自民党有利に働き、マスコミの厳しい批判はあっても世論調査は自公で300議席確保と報じられていました。

9月28日に召集された臨時国会では所信表明も質疑もなく冒頭の解散となり「大義なき解散」と厳しく指摘されました。一方、人気も高く勢いに乗る小池百合子都知事が代表となる「希望の党」が結成されました。

これに対し、混乱が続き支持率が低迷する野党第一党の民進党は離党者が続出することなどから希望の党に合流することになり、民進党は瓦解しました。

その後、小池代表の「排除」発言等により、希望の党への期待が一気に下がり始め、排除の対象となった人たち等が枝野幸男氏を支え「立憲民主党」を結成しました。そのため、選挙戦は自民党・公明党の与党に対し、希望の党・維新の会、立憲民主党・共産党の3極対決の選挙となりました。

安倍内閣の信任が問われる衆院選は、野党の自民・公明両党の圧勝となりました。

これは、ミサイル発射や核実験を繰り返す北朝鮮の脅威から、防衛力と日米同盟の強化が必要であり、安倍総理の外交力に期待するもので、与党の積極的な勝利というより、むしろ野党の調整の誤りによる消去法の勝利であると思います。

今後、国民に約束した選挙公約の実現に向け、謙虚に国政に取り組まなければなりません。

(つづく)

新しい年を迎えて

新年明けましておめでとうございます。

希望に満ちた新春をご家族おそろいで、健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年は多くの自然災害により大きな被害が発生しました。災害のない平穏な1年であることを願うとともに、自分たちのまちは自分たちで守るという心構えも必要と考えます。

また、国際情勢の劇的な変化もありました。想定外の英国のEU離脱、米国大統領選にトランプ氏の当選等驚かされた1年でもありました。

世界各地で激しい紛争やテロが今なお続いています。シリアなど紛争地域からの報道は悲惨であり、被害者は常に子どもたちであり女性です。私たちは、シリア内戦等から目をそらさず自分のこととして捕らえ、世界平和のために何ができるか考えていきたいものです。

私は、4期16年の市長としての任期を終え、昨年2月から、市議14年、市長16年の30年間の体験を、本紙に『走り続けた16年』と題し寄稿しています。

これは、苦難の時代が長く続いていた小金井市の歩みを、市民の皆さんに忘れないでいてほしいのです。これからも、財政問題、街づくり、庁舎問題、ごみ問題等、今だから言えること、そして、市政の現状等をお伝えしていきたいと考えています。

本年は3月には小金井市議会議員選挙、6月か7月には都議会議員選挙が行われます。

また、いつ解散・総選挙になるか分からない衆院選も予想され、選挙の年となります。ここで最も重要なことは選挙公約です。選挙公約が直接投票行動につながるからです。

小金井市長選挙が行われて1年が経過しました。選挙の争点は庁舎問題でした。

西岡真一郎市長の選挙公約は市庁舎、図書館等6施設の複合化であり、新たな財政負担もない等のメリットを訴えて当選しました。

昨年1月、就任し最初の議会では「6施設複合化は直近の民意であり、市長選挙に掲げた政策をご信任いただいた以上、それを果たすことが何より重要なことで、私に与えられた使命であり、何としても果たしたい」との発言でした。

しかし、5月にはその公約や発言を撤回し、図書館等を除いた「4施設の早期実現を優先することを、私のゆるぎない方針とする」と議会で明言しました。さらに、その4か月後の10月には「ゼロベースで見直すことを決断し、今後、市民・議会・行政が一体となって、進むべき方向を定めます」に変わりました。

その都度、発言の「言葉」は美しく耳に響くのですが、これが責任ある市政と言えるのか疑問を持たざるを得ません。

この様な状況を市議会がどの様に判断していくのか。また、市長の公約である「対話重視」は、どう具現化されたのかも問われます。

(つづく)

【今、市政で何が】

昨年末、12月20日の市議会本会議の市長報告で、西岡市長は新庁舎と新福祉会館は平成33年度完成との考えを示しました。しかし、福祉会館の建設場所は未定であり、移転を前提とする清掃関連施設の移転先についても、具体的には本年2月の第1回定例会に示すというものです。

2月の第2庁舎の賃貸契約更新に向けての協議や3月26日の市議選に惑わされず、慎重な対応を願います。