走り続けた16年(1)

小金井市長選挙①

小金井市長選挙は度々投票日が変わってきました。それは、市長が任期中に辞職することに起因します。

今回は、12月13日に執行されましたが、4年に1度とはいえ、市議会定例会や予算編成など12月の選挙は行政運営上厳しいものがあります。これは、佐藤和雄市長のごみ問題等の不適切な選挙公報などにより、ごみ処理が大混乱となり、その責任をとって辞職したことからこの時期になったものです。

小金井市は市長が任期を全うできずに辞職することが度々ありました。大久保慎七市長が3期の任期満了による退任を殊の外、喜んでいたことが思い出されます。

昭和56年2月17日、市議会は星野平寿市長の適切さを欠いた公務出張等に関し不信任案を可決しました。星野市長は自らの辞職でなく議会の解散を選択し、市議会議員選挙となりました。市議選が統一地方選挙から外れたのはここに起因します。

市議選の結果は星野市長不支持の議員が圧倒的多数となり、星野市長は2年で市長を辞職しました。これにより5月市長選挙となり保立旻氏が当選しました。これで市長選挙も統一地方選挙から外れることになりました。

その保立市長も、昭和61年12月、議員側から提出され可決された「老人入院見舞金支給条例」を再議(市長が議会の議決に意義がある場合、再度議会に議決を求めることで、議決どおり確定するには出席議員の3分の2以上の同意が必要になる)に付しました。

そのことから、議会が大混乱となり、昭和62年3月5日、1期半6年の任期で辞職しました。そのため、市長選挙は再び統一地方選挙に戻ったような形にはなっていました。

小金井市長は星野氏、保立氏、そして佐藤氏と任期途中での辞職となっており、市政運営の難しさが表れています。その度に選挙日が動くということにもなりました。かくいう私・稲葉も、再開発等まちづくりを含む一般会計予算が否決されたことから平成16年6月、「民意を問う」と一旦市長を辞職し再選挙をしたこともありました。現職市長が辞職して再選挙に当選した場合の任期は、前回の任期の残任期間となりますので選挙日が変わることはありません。

小金井市は市長選挙と市議会議員選挙がずれていることから、市政運営は4年を周期には成り難いものです。市議選により議会構成が変わり、進めてきた政策の遂行が難しくなることも度々でした。

また、投票率にも影響します。理想をいえば、統一地方選挙に合わせることですが、せめて小金井は市長と市議会議員の選挙を一緒にできないか腐心しましたが果たせませんでした。

今後、4年を周期とする安定した市政運営をしていくためには、法改正を含めて知恵を出す必要があります。
(つづく)