走り続けた16年(135)

令和元年の市長選挙

小金井市の将来を定める小金井市長選挙と2名の欠員のある市議会補欠選挙が、12月1日(日)告示され、市長選挙には新人で元市議会議長の森戸洋子氏(63)(無所属=共産支持)、同じく新人で前市議会議員の河野律子氏(51)(無所属=自民・公明・東京維新の会推薦)、現職2期目を目指す西岡真一郎氏(50)(無所属)と新人でNHKから国民を守る党党首の立花孝志氏(52)の4氏が立候補を届け出ました。また、森戸、河野両氏の市議辞職に伴う市議補選には共産党元職の長谷川博道氏、新人で自民党公認の清水学氏、無所属新の水谷多加子氏、同じく無所属新の上村喜代子氏の4氏が立候補しました。

市長選挙は、立花氏を除く3氏は武蔵小金井駅南口の周辺に事務所を構え、連日、武蔵小金井駅周辺は大きな拡声器の音が響き渡りました。

3氏とも過去の自らの実績を強調するとともに、前回の市長選で掲げた西岡市長の選挙公約に対する批判や、この4年間の西岡市政の評価も争点となり、舌戦が繰り広げられました。

森戸氏は市議として「生活相談を延べ1千400件受けるなど、市民生活に寄り添った」と強調し、河野氏は「市職員時代に行財政改革や駅周辺の整備に取り組んだ実績」を強調した。西岡氏は「新庁舎建設の方針を決め、ごみの共同処理の進展」をアピールしました。

N国立花氏は独自の選挙戦で、公約は「NHKの集金人が市内を戸別訪問することを規制する条例をつくる」ということでした。

12月8日の投票結果は、現職の西岡真一郎氏が1万8千579票、河野律子氏1万759票、森戸洋子氏1万399票、立花孝志氏678票と、西岡氏が圧勝しました。

当選した西岡市長には、市議会での問責決議である「ガバナンス(統治能力)の欠如、コンプライアンス(法令遵守)の意識に欠ける」との指摘を、再度受けることのない行政執行を望みます。

当日の有権者数は男性が4万8千881人、女性が5万1千154人、計10万35人でしたが、投票者数は男性が1万9千834人で投票率は40・58%、女性は2万1千70人、41・19%となり、合計すると4万904で投票率は40・89%となり、前回の41・42%をも下回りました。

有権者の約60%(5万9千131人)が棄権するという低投票率の原因を考えると、統一地方選挙と時期がずれて単独で行っていることから盛り上がりに欠けること。それも年末12月で寒さも感じる時期であること。更に、大きな争点が無いということなどが考えられます。

政策的には、水と緑が豊かな自然環境を守っていくことは3氏も共通認識で、新市庁舎の建設に関しても大きな差異はなく、争点の少ない選挙戦でした。

強いて挙げるとすれば、はけを通過する2本の都市計画道路についてでした。

また、同時に行われた市議補選は新人の自民党公認の清水学氏、無所属の水谷多加子氏、が当選しました。任期は令和3年4月までとなります。

選挙戦に関する分析や選挙公約等については今後、詳しく報告させていただきます。

(つづく)

走り続けた16年(119)

給食の委託化と都議選の顛末②

平成29年7月11日の本欄に「都議会議員選挙」の表題の寄稿文が掲載されました。

それは、平成25年の6月議会に、多くの難関を乗り越え学校給食の民間委託の予算を最後の関門である議会に提案しました。しかし、民主党(現在は立憲民主党)の2議員の理解が得られないことから予算の成立は困難となりました。そこで、当時民主党の支部長の西岡真一郎都議(現市長)に、もし予算を通してもらえれば、私は、その後に行われる都議選で自民党新人の木村基成候補の応援はしない、と申し出ました。結果的には民主党の賛成もあり小学校5校の委託が決定しました。

自民党都連などから強い要請もありましたが、小金井市の財政再建のための行革は私にとって最優先政策であり、厳しい批判もありましたが、覚悟して都議選には関わりませんでした。都議選は全都で自民党が圧勝し、小金井市に木村都議が誕生しました。

この新聞への寄稿に対し、小金井市議会民進党(民主党から改称)から新聞発行日の日付で「寄稿文は事実に反する記述がある」と、翌7月21日号の小金井新聞に反論の記事が掲載されました。

その内容は「貴社の『小金井新聞』7月11日号に掲載された稲葉孝彦氏の寄稿文は事実に反する記述があります。」とし「まず、当時の私たち市議会民主党が小学校給食調理の民間委託に反対をしていた事実はなく、必要な民間委託は進めるべきとの立場です。

また、小学校給食調理業務の民間委託の意思決定過程において、寄稿文にあるような都議会議員(当時)から市議会民主党への指示や関与の事実もありません。

こうした事実無根の記事が掲載されることは、当時の担当市職員の皆さんの懸命なご努力や、小金井市の学校給食を守り育てるためにご尽力されている市民、保護者や関係者の皆様を侮辱し、小金井市議会の信用を著しく損なうものであり、到底看過できるものではありません。

平成29年7月11日 小金井市議会民進党 鈴木成夫 岸田正義 村山ひでき」とありましたが、私は寄稿文で「都議会議員からの指示や関与」について触れていないのです。

当時の民主党議員は鈴木成夫議員と岸田正義議員のお2人で、村山ひでき議員はその後加わったものです。前記2議員は現在、立憲民主党に所属し、西岡市長を支える与党の中心に位置しています。

これに対し、私は8月1日号の本欄で、記録と記憶に基づき、反論こそ事実と異なると、経過を丁寧に説明させてもらいました。しかし、鈴木議員らは「市民、保護者や関係者の皆様を侮辱し、小金井市議会の信用を著しく損なうものであり到底看過できるものではありません」と強弁しながら、これに対する私の主張に、現在まで沈黙を守っているのは非常に残念です。

この紙面でのやり取りに対して、市民から議会に「真相を解明せよ」との陳情が出され、これが議会でも議論になり、その経過が明らかになりました。

(つづく)

走り続けた16年(16)

財政健全化への闘い⑧

市民の方から「小金井市は税金が高い」との言葉を耳にすることがあります。

しかし、住民税は法によって定められていますので、「小金井は…」とはなりません。

但し、納めた税金が効率的に市民に還元されていなければ、税金が高いとの思いになることでしょう。

私が小金井市に移り住んで間もない昭和50年代は、市民一人当たりの個人市民税は全国の自治体のトップクラスにありながら、人件費比率がワースト1位であるため、近隣各市が国費や都費を導入し都市基盤整備等を進める中で、小金井市は原資がないことから街づくりが一向に進まないなど、市民サービスの脆弱(ぜいじゃく)さに大変な憤りを感じていました。

そして、このまちを変えるには自らも市議会議員になることだと決意し、昭和60年の市議会議員選挙に立候補しました。

私の選挙公報、リード文は「私は市民の生活感覚を市政に生かし、職員定数の削減、給与制度の是正、業務の民営化の推進、昼休みの窓口業務の開始等、活力ある市役所づくりをめざします。情報公開を積極的に行い、市政の実態を市民にお知らせします。市長を先頭に市政改革を断行し、豊かな市民生活を築きあげましょう。」でした。

横見出しは大きく「緑と歴史の街・小金井」とあり、政策は「わたしの目標・健康のための検診の充実・非行やいじめのない学校教育・高齢化社会に備えます・三鷹︱立川間の連続立体高架化で開かずの踏切り解消と駅前広場の整備・玉川上水の清流と小金井千本桜の復活」でした。

また、選挙ポスターのキャッチフレーズは「市民の生活感覚を市政に」でした。

選挙は、定数26名に29名が立候補し、1151票で19番目の当選でした。

その後、今も住んでいる築後7年の中古マンションに移り、それまでのアパートは事務所として使いました。その壁には、市民にお約束した選挙公約をA3判に拡大コピーして貼り、常にそれを確認していました。いよいよ市議会の場で自分の考えが示せる、その場が来たのです。

「今、市政で何が」
西岡真一郎市長が就任し半年が経過しました。そして、選挙公約である市庁舎など6施設の集約を4施設に変更するとの考えを議会に示し、それに沿った庁内プロジェクトチームの中間報告も出ての市議会全員協議会は、冒頭で議員の資料請求に、市長の「休憩を…」との発言で休憩し、そのまま質疑にも至らず終了しています。

また、関連する補正予算を議会に送付したものの、市長の判断で取下げるなどの混乱が続いています。

8月には最終の報告書が出されるようですが、小金井市の将来に大きな影響を与える重要な事案で、議会の判断が求められることになります。全体計画、財政計画や建設スケジュールなど、きちんとした議論がなされることを期待します。

リース庁舎を取得するとの私の考えは残念ながら議会の理解が得られませんでした。しかし、来年の2月には、その第二庁舎の賃借契約更新について市の方針を決める必要があります。結果として借り続けることが取得する以上の負担にならないことを願うのみです。

(つづく)