さくら通信

市長の任期は48ヶ月

市長の任期は4年ですが漫然としないため48ヶ月と考え、1ヶ月経てば 残りは47ヶ月、 2ヶ月経てば 24分の1が終えたと常に緊張感を持ち、1日も無駄にしない行動をしました。

そして、事務所の壁にA 3に拡大した選挙公報と当面する課題を貼って常に目にしていました。

課題は倒産寸前の危機的財政の健全化 。

開かずの踏切で街を南北に分断する中央線の高架化、そして八王子駅までの中央線で最も 整備が遅れていると言われる武蔵小金井駅の再開発と東小金井駅の区画整理の街づくりでした。

それを48ヶ月でどこまで進められるかでした。

さくら通信

日本の標準時は小金井市から

大正9年に6月10日を「時の記念日」とすることが決められました。

また、日本の標準時は東経135度を太陽が通過する時刻を12時と定めました。

その135度が明石市等12市を通っていることから、私たちは明石市が標準時と教えられてきました。

しかし、明石市等は位置してるだけであり、実際に発信しているのは小金井市からなのです 。数年に1回行われたうるう秒の調整も、小金井市貫井北町4丁目の情報通信研究機構で行われたのです。

私たちが使っている電波時計が受信する標準時も、元はここから発信されています。日本の標準時は明石市ではなく小金井市から発信されているのです。

これを全国民に知っていただく必要があります。そのためには 時の記念日を活用しイベントを行うことです。

武蔵小金井駅の自由通路に、小金井ロータリークラブと小金井さくらロータリークラブが共同で設置した、1秒の狂いもない電波時計も老朽化で撤去されてしまいました。

時を発信する小金井市として、何とかならなかったのか悔やまれます。

かつて、新庁舎建設予定地の西側に蛇の目ミシン工業の本社があり、その屋上の塔屋には大時計が設置され、電車の上り下りの乗客が昼夜を問わず目にしていました。

建設予定の新庁舎もJR中央線に面し、適度な距離があることから大時計の設置が望まれます。

これにより日本の標準時が小金井市から発信されていることなど、小金井市の広告塔としての役割の十分に果たすものと思います。

さくら通信

遠藤章氏が逝去

市長在任中から東京農工大学の経営協議会委員を務めていました 。

外部委員は10人で、あの発光ダイオード でノーベル賞を受賞した中村修二 氏や、文科省、総務省の官僚、 国立大学の学長などで、私は地元の市長ということで府中市の高野律雄市長とともに委員を務めました。

そのため、農工大の重要会議で遠藤章特別栄誉教授と同席することがあり、遠藤特別研究室でお会いするなどのお付き合いをいただきました。

6月12日の新聞が、遠藤特別栄誉教授が今月5日に死去したことを報じました。

新聞では、「コレステロールの合成を妨げるスタチンの一種を発見した。その後、国内外でスタチン製剤の開発が加速し、世界中の脂質異常症・高脂血症の患者が利用する薬となった。これはペニシリンと並ぶ奇跡の薬とも呼ばれている。米国の医学分野で権威あるラスカー賞などを受賞し、ノーベル賞の有力候補にも上がっていた」とあります。

ノーベル賞の受賞発表時、農工大では今年こそと常に緊張感に包まれていました。

安らかな旅立ちを心から祈っています。合掌

さくら通信

第52回小金井なかよし市民まつりが休止に

小金井市にとって最大の行事の一つである「なかよし 市民まつり 」が本年度は休止することが決定しました。

令和6年4月19日付で「 令和6年度小金井 なかよし 市民まつりの休止について 」という表題の文書が、小金井市市民部コミュニティ文化課長名で小金井三宅島友好協会の会長を拝命する私に届きました 。

この文書には「令和5年10月に これまで 市民まつり実行委員会を担っていただいていた小金井市商工会より令和6年度から事務局を辞退したいとの申し出がありました」とあり、「昭和48年に第1回目のまつりの開催目的であった市民の交流の場を持つことにあると考えます」として、「市民と市が協働でつくる新しい交流の場としてのまつりのあり方を検討することと決定しました」とあります 。

さらに、「これからの市民まつりは、これまでの市民まつりの再現を目指すのでなく、関心を持っていただける市民の方と新しく始める、交流を基軸においたまつりにしたいと考えています」とありますが、この長く続いたまつりの変更は市長の発案と思われますが、市民まつりを継続しつつ新たなイベントの検討すべきではなかったでしょうか。

これまで実行委員会の事務局を担ってきた商工会が辞退したのは、まつりに精通した職員の退職による人手不足によるとあり、双方で協議した結果、休止を決断せざるを得なくなったようです。 また、一部には商工会の予算要望に市が応じられなかったことが原因との声も聞こえてきます。資金不足や人手不足を乗り越えても休止は避けるべきでした。

小金井市の魅力は、①恵まれた自然環境、②大学や研究機関の文教都市、③世界のスタジオジブリや情報通信研究機構の所在地、④美味しい食べ物、⑤多くの人々が集えるイベントの開催などにあり、これを内外に発信するシティプロモーションが必要です。

本年は、市民交流の場である年頭の「新春市民の集い」も中止になり、さらに今度は「なかよし市民まつり」の休止は残念です 。

小金井市の友好都市である三宅村から村長をはじめ、村議会、郷土芸能などの人々に市民まつりに来訪いただき、錦上花を添えていただくとともに交流の実を上げてきました。本年度も三宅村は予算化しその準備が整っています 。

過日の友好協会の総会で私は、12月に予定する名勝小金井(さくら)指定 100周年の記念イベントか、来春の「第71回小金井 桜まつり」に三宅村の皆さんをお迎えしたらいかがかと挨拶をしました 。

三宅村の小金井市との友好親善の予算が、未執行にならないことを願っています。

さくら通信

わたしは悪い公務員

東京都市長会は前原町5丁目と接する東京都自治会館に26市の市長が集まって毎月会議が開かれています。

その会議の前後や休憩中の情報や意見交換は非常に意義のあるものでした。

いつの市長会だったか記録が見当たりませんが、一人の市長から「『私は悪い 公務員』って本読んだ?」との声が出ました。それに、数人の市長が反応し「これを書いたのはうちの職員だと思うよ 」との声も複数ありました 。

この本は 平成5年に出版されたもので 私もすでに読んでいて、小金井市の職員かOBが書いたと思っていました。

昭和33年の市制施行して数年後、市は職員組合執行委員長を職務命令違反で懲戒免職にした。しかし、組合の激しい復職運動で5年後に当局は懲戒免職を撤回した。復職した委員長は影の市長とも天皇とも呼ばれるようになり、組合はさらに強力になり市長を監禁、暴行、上司の吊し上げ、人事介入、議場への乱入など暴力的行動がまかり通っていた。市民には信じられないような労使関係が陰で続き、近くに所在していた小金井警察署は歯ぎしりしていた。

その本の著者名は金井次郎とあり、内容はかつての小金井市役所の体質から生まれたものと思われるものでした。副題には「3日やったら辞められない地方公務員の優雅な日々」とありました 。

大久保市政の3期目頃から組合の体質が徐々に変わり、私の時代の職員は常に前向きであり「模範的な公務員」であり、このような会話にはついていけませんでした。