小金井新聞 再発行
市民に親しまれていた小金井新聞が、月3回の発行から2回に、そして1回になり、いつの間にか予告もなく休刊になってしまいました。
これは、社主の木内広子さんの体調不安によるものでした。
それが、6 月25日に再発行されました。
これは、この4月で 市議会議員を引退した、五十嵐京子さんが編集長になって 再発行することになったのです。
私の「走り続けた16年」も284号で止まっていましたが、再開いたしました。
どうぞ 、今後の小金井新聞に期待してください。
小金井新聞 再発行
市民に親しまれていた小金井新聞が、月3回の発行から2回に、そして1回になり、いつの間にか予告もなく休刊になってしまいました。
これは、社主の木内広子さんの体調不安によるものでした。
それが、6 月25日に再発行されました。
これは、この4月で 市議会議員を引退した、五十嵐京子さんが編集長になって 再発行することになったのです。
私の「走り続けた16年」も284号で止まっていましたが、再開いたしました。
どうぞ 、今後の小金井新聞に期待してください。
可燃ごみ処理を日野、国分寺と3市で
日野、国分寺、小金井の3市の市民が排出する燃やすごみの処理は、日野市石田1丁目にある浅川清流環境組合で焼却処理しています。
小金井市は平成19年3月、老朽化した二枚橋焼却場を廃炉して以来、多摩各地の広域支援に頼ってきました。
平成24年1月23日夜、三鷹市新川の焼却場で小金井市のゴミを焼却処理してもらうため、施設周辺の住民への混乱の説明会が終え大雪の帰り道、職員から「日野市はクリーンセンターの建替えを共同で行うことを考えているようです。」との報告がありました。
早速情報を整理して、馬場弘融日野市長に面会を求めました。
馬場市長とは、お互い市議会議員時代からの同志でした。
市長室に入ると、旧知の間柄にも関わらず、なぜか彼から名刺を手渡されました。
その名刺の左端に「覚悟を、そして希望を ーいつか 思いは叶うー 」の文字が、ブルーブラックのインクで手書きされていました。
平成24年4月、日野市役所の会議室で、日野市長、星野信夫国分寺市長と私の3人で、燃やすごみの共同処理を進めることで合意しました。
そして、条件整備の細部の交渉が、副市長、部長級の交渉が結実し、25年3月13日、3市の可燃ごみの共同処理を推進することの覚書が、3市長で締結されました。
平成25年4月日野市は、馬場市長の後継の大坪冬彦市長に引き継がれ、事業は計画通り進められ、令和4年4月1日から30年間の本格稼動がスタートしました。
そして、大坪市長の3期目の任期が、この令和7年4月26日で終えることから、4月23日午後に日野市役所を訪ね、小金井市がお世話になった感謝の気持ちを伝えるとともに、再会を約束して日野市を後にしました。
4月28日(月) 午前9時、新市長の古賀壮志氏( 47 )が初登庁しました。
古賀市長の父・俊昭氏と私は、昭和60年以来の盟友 で、彼は都議会議員 7期の任期中に逝去されました。
壮志氏には、父・俊昭氏の思いの分まで、頑張ってほしいと思っています。
日野市長に古賀壮志氏
4月13日に執行された日野市長選挙で、自民党推薦の古賀壮志氏が初当選しました。
選挙戦は前市議の古賀氏(47)が21,780票を獲得し、同じく前市議の有賀精一氏( 66)が19,556票、前都議の菅原直志氏( 57)の19,374票を制し勝利しました。
小金井市、国分寺市と日野市の3市の燃やすゴミは、日野市石田の浅川清流環境組合で共同処理をしており、日野市民、焼却場のある石田地区周辺の方々には、大変お世話になっております。
新市長の父俊昭氏とは、昭和60年に私が小金井市議会議員になって数年後、日野市議の古賀俊明氏、武蔵野市議の水野学氏、三鷹市議の島野浩二氏、杉並区の都議の山田宏氏(現・参議院議員)の5人で「無印良品 議員の会」を結成し、若かったこともあり青臭い議員活動を生真面目に努めていました。
平成11年2月23日の朝7時前に、都議会議員の古賀敏昭氏から電話があり、「新聞を読みました。千載一遇のチャンスであり、健康に注意してなんて言わない。寝食を忘れて頑張ってください。 」と、私の市長選出馬の新聞記事を読んでの激励でした。
そのため、小学生の頃から古賀候補を知る私は、応援に行かなければと思いつつ、市の行政執行に迷惑をかけてもいけないと考え、9日午後の高幡不動駅南口の演説会に参加し、マイクを持たせられるのを避けるため人影で彼の演説を聞き、演説会終了後に候補者を激励しました 。
盟友であった古賀俊昭氏は、都議会議員を7期務められ、現職のまま逝去されました。
この選挙結果を、天国で喜んでいるだろうと思っています。
頑張ってください。
小金井市との交流にも努めていただくことに期待します。
盟友の息子が市長に、時の流れを感じさせるものです。
斎藤元彦兵庫県知事は辞職すべきである
兵庫県の斎藤元彦知事による、パワハラ疑惑などが内部告発文書で明らかになり、県議会86議員全会 一致で不信任が可決されました。
これに対し斎藤知事は、自らの辞職や議会の解散を避け失職を選択し、知事選挙に立候補しました。
議会から全会一致で不信任された知事が、再び立候補することは想定外だったが、それが111万3911票を獲得し、次点に13万7274票の差での当選は、信じられない思いです。
この疑惑を調査した県議会の100条調査委員会は、知事選挙の世論に怯えたのか、厳しさに欠けると思われる報告にも、「それも一つの見解」と知事に軽くあしらわれました。
しかし、この告発文書を検証するため県により設置された、公平・中立で独立性の高い外部の弁護士等で構成された「第三者委員会」は、その調査報告書で告発文書を公益通報扱いとせず、告白者を探し出し懲戒免職にしたことは、明らかに違法・無効と認定し、処分は無効だとした。
また、職員への叱責の多くをパワハラと明確に認定した。
ニ人の貴重な命が失われ、第三者委員会の調査報告書が出されても何ら行動を起こさない斎藤知事には、リーダーの資格はなく辞職すべきです。
知事が職員を怒鳴り散らすパワハラを、教育的措置との発言は自己弁護であり、感情的対応としか思えません。
私は市長としての16年間で、市職員を怒鳴ったことは一度もありません。
ただ、東京都市町村職員共済組合の理事長職にあった時、ペインオフが導入されたことから、分散していた 4000億円近い積立金をメガバンクに集めました。
それを私の許可もなく、労働関係の金融機関に30数億円を移して、便宜を図った共済組合の管理職の事後報告には本気で怒りました。
私が思い出されるのはこの一件だけです。
また、贈り物は断るのが基本ですが、どうしても断れず受け取った場合は、秘書がその時特に繁忙な部署に持参し処理してもらいました。
また、記念品など比較的希少な物は、秘書係が知恵を絞って職員に与えていました。
私は自宅に持ち帰らず、全て庁内で処理することで通しました。
名称小金井さくら指定100周年
今年も桜のお便りが届き始めました。
昨年は、大正13年12月9日桜で名高い奈良県吉野山、茨城県桜川とともに小金井(サクラ)が名勝指定を受けて100周年を迎えました。
市は記念事業実行委員会を立ち上げ、各種の記念イベントが実施されました。
メインの式典は、12月8日市民交流センター( 宮地楽器)大ホールで行われ、小金井さくら 復活に尽力された方々や、その活動等が紹介されました。
また、岩手県北上市の伊藤彬元市長も来訪され、錦上花を添えていただきました。
式典終了後、私は旧交を温め再開を約束しました。
東北地方の3大桜の名所として知られる、岩手県北上市の展勝地公園の桜は、大正10年 (1921 )小金井産の山桜約1000本の苗木が小金井町から移植されたもので、今でも美しい花を咲かせ、地元の人々には「こがねい」とか「小金井の山桜 」と呼ばれています。
平成13年( 2001)に、展勝地公園開設80周年記念式典が同公園等で盛大に行われ、私も さくらの会の石田精一 会長と招待に応じて参加しました。
式典の中で北上市長の伊藤彬氏より、友好の証として親木から接ぎ木で増やした後継樹の寄贈が、目録で小金井市に贈呈されました。
そして、6年後の平成19年11月4日桜を愛する市民のお願いが叶い、両市の関係者が見守る中、北上の地で育った苗木5本が、小金橋そばの玉川上水堤のふるさとに里帰りしました。
この山桜には、両市の名勝小金井サクラ復活の思いが込められています。
これからは、平成21年東京都が策定した「 史跡玉川上水整備活用計画」に沿って、雑木等の剪定、伐採を行い、そこに植えられたさくらで名勝にふさわしい玉川上水を復活させ、歌川広重の浮世絵あるさくらが復活することになります。
また、平成23年3月11日の東日本大震災時に、小金井市から北上市に救援物資を送る準備が整ったので北上市長の伊藤氏に連絡すると、「北上市より大船渡市に送ってほしい」と言われ、大船渡市長と話し合い救援物資を送らせてもらいました。
今回の大船渡市の山林火災で、14年前の大震災を思い出しました。