さくら通信

「ぐりとぐら」の中川李枝子姉妹

4月16日、昨年10月に亡くなった児童文学作家の中川李枝子さんと、令和4年9月に亡くなった妹の挿絵家の山脇ゆり子さんのお別れ会が、都内で開かれたことが報じられました。

お二人にお会いしたのは平成20年3月28日でした。

スタジオジブリの宮崎駿監督から、保育園「3匹のクマの家」が完成し、4月1日に開園するので家族で保育園に来てほしいと連絡がありました。

それは、監督のスタジオの隣地の保育園用地取得から開園まで、私が関わってきたことからでした。

家族は大喜びで、妻と2人の娘と孫の5人で参加しました。

宮崎監督が、私の家族ら十数人を引き連れて園内外を説明して歩いている時、私の次女が「 あの方は中川さんですか?」に監督は、「そうです。中川さんは保育の経験もあるんですよ。」との言葉に娘は嬉々として、中川、山脇姉妹に「 私はぐりとぐらはほとんど読みました。」と話し、2人からべったり離れず歩いているのを見ていて、今日の会の趣旨と違うんだがとの思いでいました。

私も、中川さん、山脇さん姉妹にお会いするのはこの日1日限りでしたが、強い印象として残っています。

外国でも多くの人々に愛読され、これからも永遠に愛読されていく作品をたくさん作られた、お二人のご冥福をお祈りいたします。

 

さくら通信

日野市長に古賀壮志氏

4月13日に執行された日野市長選挙で、自民党推薦の古賀壮志氏が初当選しました。

選挙戦は前市議の古賀氏(47)が21,780票を獲得し、同じく前市議の有賀精一氏( 66)が19,556票、前都議の菅原直志氏( 57)の19,374票を制し勝利しました。

小金井市、国分寺市と日野市の3市の燃やすゴミは、日野市石田の浅川清流環境組合で共同処理をしており、日野市民、焼却場のある石田地区周辺の方々には、大変お世話になっております。

新市長の父俊昭氏とは、昭和60年に私が小金井市議会議員になって数年後、日野市議の古賀俊明氏、武蔵野市議の水野学氏、三鷹市議の島野浩二氏、杉並区の都議の山田宏氏(現・参議院議員)の5人で「無印良品 議員の会」を結成し、若かったこともあり青臭い議員活動を生真面目に努めていました。

平成11年2月23日の朝7時前に、都議会議員の古賀敏昭氏から電話があり、「新聞を読みました。千載一遇のチャンスであり、健康に注意してなんて言わない。寝食を忘れて頑張ってください。 」と、私の市長選出馬の新聞記事を読んでの激励でした。

そのため、小学生の頃から古賀候補を知る私は、応援に行かなければと思いつつ、市の行政執行に迷惑をかけてもいけないと考え、9日午後の高幡不動駅南口の演説会に参加し、マイクを持たせられるのを避けるため人影で彼の演説を聞き、演説会終了後に候補者を激励しました 。

盟友であった古賀俊昭氏は、都議会議員を7期務められ、現職のまま逝去されました。

この選挙結果を、天国で喜んでいるだろうと思っています。

頑張ってください。

小金井市との交流にも努めていただくことに期待します。

盟友の息子が市長に、時の流れを感じさせるものです。

さくら通信

斎藤元彦兵庫県知事は辞職すべきである

兵庫県の斎藤元彦知事による、パワハラ疑惑などが内部告発文書で明らかになり、県議会86議員全会 一致で不信任が可決されました。

これに対し斎藤知事は、自らの辞職や議会の解散を避け失職を選択し、知事選挙に立候補しました。

議会から全会一致で不信任された知事が、再び立候補することは想定外だったが、それが111万3911票を獲得し、次点に13万7274票の差での当選は、信じられない思いです。

この疑惑を調査した県議会の100条調査委員会は、知事選挙の世論に怯えたのか、厳しさに欠けると思われる報告にも、「それも一つの見解」と知事に軽くあしらわれました。

しかし、この告発文書を検証するため県により設置された、公平・中立で独立性の高い外部の弁護士等で構成された「第三者委員会」は、その調査報告書で告発文書を公益通報扱いとせず、告白者を探し出し懲戒免職にしたことは、明らかに違法・無効と認定し、処分は無効だとした。

また、職員への叱責の多くをパワハラと明確に認定した。

ニ人の貴重な命が失われ、第三者委員会の調査報告書が出されても何ら行動を起こさない斎藤知事には、リーダーの資格はなく辞職すべきです。

知事が職員を怒鳴り散らすパワハラを、教育的措置との発言は自己弁護であり、感情的対応としか思えません。

私は市長としての16年間で、市職員を怒鳴ったことは一度もありません。

ただ、東京都市町村職員共済組合の理事長職にあった時、ペインオフが導入されたことから、分散していた 4000億円近い積立金をメガバンクに集めました。

それを私の許可もなく、労働関係の金融機関に30数億円を移して、便宜を図った共済組合の管理職の事後報告には本気で怒りました。

私が思い出されるのはこの一件だけです。

また、贈り物は断るのが基本ですが、どうしても断れず受け取った場合は、秘書がその時特に繁忙な部署に持参し処理してもらいました。

また、記念品など比較的希少な物は、秘書係が知恵を絞って職員に与えていました。

私は自宅に持ち帰らず、全て庁内で処理することで通しました。

さくら通信

名称小金井さくら指定100周年

今年も桜のお便りが届き始めました。

昨年は、大正13年12月9日桜で名高い奈良県吉野山、茨城県桜川とともに小金井(サクラ)が名勝指定を受けて100周年を迎えました。

市は記念事業実行委員会を立ち上げ、各種の記念イベントが実施されました。

メインの式典は、12月8日市民交流センター( 宮地楽器)大ホールで行われ、小金井さくら 復活に尽力された方々や、その活動等が紹介されました。

また、岩手県北上市の伊藤彬元市長も来訪され、錦上花を添えていただきました。

式典終了後、私は旧交を温め再開を約束しました。

東北地方の3大桜の名所として知られる、岩手県北上市の展勝地公園の桜は、大正10年 (1921 )小金井産の山桜約1000本の苗木が小金井町から移植されたもので、今でも美しい花を咲かせ、地元の人々には「こがねい」とか「小金井の山桜 」と呼ばれています。

平成13年( 2001)に、展勝地公園開設80周年記念式典が同公園等で盛大に行われ、私も さくらの会の石田精一 会長と招待に応じて参加しました。

式典の中で北上市長の伊藤彬氏より、友好の証として親木から接ぎ木で増やした後継樹の寄贈が、目録で小金井市に贈呈されました。

そして、6年後の平成19年11月4日桜を愛する市民のお願いが叶い、両市の関係者が見守る中、北上の地で育った苗木5本が、小金橋そばの玉川上水堤のふるさとに里帰りしました。

この山桜には、両市の名勝小金井サクラ復活の思いが込められています。

これからは、平成21年東京都が策定した「 史跡玉川上水整備活用計画」に沿って、雑木等の剪定、伐採を行い、そこに植えられたさくらで名勝にふさわしい玉川上水を復活させ、歌川広重の浮世絵あるさくらが復活することになります。

また、平成23年3月11日の東日本大震災時に、小金井市から北上市に救援物資を送る準備が整ったので北上市長の伊藤氏に連絡すると、「北上市より大船渡市に送ってほしい」と言われ、大船渡市長と話し合い救援物資を送らせてもらいました。

今回の大船渡市の山林火災で、14年前の大震災を思い出しました。

さくら通信

野川の清流が危機に

朝起きてカーテンを開くと、太陽に強い陽光に複雑な思いです。

異常気象なのか、北海道や西日本は例年にない豪雪で、日常生活を困難にしています。

一方、東日本は連日の晴天による水不足で農作物に影響を与え、それが野菜価格の高騰になっています。

「今日もいいお天気ですね」に、複雑な思いです。

はけの湧水も減ってきており、野川の枯渇が危惧されます。

毎年2月は雨量が減り、さらに木々が春が近づきたくさん吸水することから、 湧水が激減し、野川が枯渇することになります。

現在、鞍尾根橋に届く国分寺市からの湧水も減り、東京経済大学の「進次郎池」は干上がり、参拝者が途切れない貫井神社の湧水も激減し、滄浪泉園、谷口邸、美術の森の湧水もかすかに流れている程度です。

このまま晴天が続けば、野川は砂利道に化してしまうでしょう。

枯渇を回避するには、地下水の涵養が必要です。

小金井市は平成13年5月に、第3回「日本水大賞」においてグランプリを受賞しました。

これは、市民と下水道工事店の協力による、雨水浸透事業が評価されたもので、これにより野川やはけの湧水の枯渇を食い止め、街に潤いを増進させるのです。

表彰式は秋篠宮ご夫妻ご出席のもと、私が代表して表彰状をお受けしました。

雨水浸透事業に力を入れ、近隣市にも普及させていく必要があります。